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市川崑監督 「おとうと」 1960 レビュー

市川崑監督 「おとうと」 1960 レビュー

日本映画の黄金時代

映画好きは多いが、日本映画が好きな人は少ない。ましてや昭和三十年代の邦画となると、マニアックなジャンルかもしれない。しかし、私は断言する。1956年~1962年の日本映画は、全世界の映画史上最高の黄金時代だ。特に1960年は、新旧の映画監督が意欲作を多発し、大いなる活況を呈した年だ。

東宝には、天皇、黒澤明が君臨する。「悪い奴ほどよく眠る」の三船敏郎は、豪胆かつ繊細な男ぶりを見せ、森雅之の老獪さにも磨きがかかる。成瀬巳喜男のミューズ高峰秀子。「女が階段を上るとき」では、森雅之、中村鴈治郎、仲代達矢が彼女に翻弄される。堀川弘通が松本清張サスペンスを映画化した「黒い画集 あるサラリーマンの証言」では、高度成長期の小市民を小林桂樹が体現する。

石原裕次郎こそ、日活を代表する戦後最大のスターだが、日活映画は裕次郎だけではない。斎藤武市「東京の暴れん坊」で見せつけてくれる、小林旭と浅丘ルリ子のラブラブカップル。ルリ子が放つ「好き好き光線」は明らかにに演技ではない。異端派、鈴木清順の「すべてが狂ってる」は、太陽族映画の一端とも言えるが、ドライな冷徹マインドをジャズに乗せて、スタイリッシュに決める。

松竹では、巨匠小津安二郎が「秋日和」で安定感を保つが、岡田茉莉子に翻弄されているのは、佐分利信だけではない。後に岡田の伴侶となる吉田喜重「ろくでなし」、「血は渇いている」の若々しい厭世観。大島渚は「青春残酷物語」、「太陽の墓場」、「日本の夜と霧」で、戦後社会への怒りを爆発させる。端然とした小津の佇まいを叩き潰すかのように登場した松竹ヌーベルバーグの衝撃は、今なお瑞々しい。

新東宝は、独自のエログロ路線を邁進する。石井輝男「黄線地帯」が描く神戸の異界。中川信夫「地獄」のグロテスクな狂気。両作に主演した天地茂の甘い、いかがわしさ。

そして、大映。増村保造「からっ風野郎」「偽大学生」、市川崑「ぼんち」「おとうと」。日本映画史上最高峰の精鋭である二人の映画作家は、まさにこのとき絶頂期を迎え、先鋭の極みとしか言いようがない傑作を連打していたのだ。

岸惠子の清潔なセクシャリティ

「おとうと」の冒頭、岸惠子は万引きを疑われ、百貨店の事務室で尋問される。蓮っ葉な口調で身の潔白を主張し、疑義へ抗議する岸。メソメソしない、オロオロもしない。堂々と、大人たちに立ち向かう。家に帰ると継母の田中絹代が、ねちっこく皮肉を言ってくる。嫌味な気質が鬱陶しい、血の繋がらない母親だが、負けてはいない。言うべきことははっきり言い返し、田中の陰湿なペースに巻き込まれはしない。

そんな岸が、「おとうと」の川口浩だけには滅法弱い。わがままで淋しがりやの「おとうと」は、まさに「年下の男の子」だ。無鉄砲な悪ガキは、常にくだらない鬱憤を抱え、悪さばかりする。両親に突っかかる。学友とつるんで遊び歩く。岸にも悪態ばかりつくが、心情ではかなり甘えている。姉弟が優しい言葉を交わすことなどないが、どこか淡い恋情が互いに芽生えているのかもしれない。

シャッキリした美貌の岸に、言い寄る男も多いが、岸はまったく相手にしない。まだ恋愛に興味がないのかもしれないが、そんな彼女の佇まいには、清潔なセクシャリティがすんなりと寄り添っていて、大層美しい。かすれがちの声も甘く、セクシーだ。しかし、鷹揚な市川崑は、岸の微細な性的兆候を強調などしない。あくまで彼女は、気丈な「姉」なのだ。しかし、ナチュラルに漂う色香を打ち消すことも、もちろんしない。美しい映像の随所には、岸惠子の美しさの絶頂が刻まれている。

「銀残し」の美しさ

この映画で、カメラマンの宮川一夫は、「銀残し」という現像手法を用いた。「銀残し」を施した映像の特徴は、彩度の低い渋い色調らしい。くすんだ色合いで、和服の模様や日本家屋の柱や畳、樹木の幹や葉が映し出される。現代では、素人がスマホで撮影した映像でさえ、実物とほぼ同一の色彩を再現する。しかし昔は、テレビの色彩も実物とはかなり違っていて、テレビ局によって色合いの傾向が異なっていた。カラー初期の映画もそうだ。映画会社ごとに色調の特徴があったが、概ね原色を強調する、どぎつい色調であることが多かった。

「おとうと」の色調も、濃いと言えば濃い。濃淡が強調されている、というのが正確か。茶系統の濃淡の強調により、岸や川口の住む日本家屋の陰が鋭く浮かび上がり、大正時代のリアルな生活感を想起させる。著名な作家である父(森雅之)の家だが、豪邸というわけでもなく普通の家屋だ。大正時代当時、電灯の普及率は70%にものぼっていたらしいが、光力は弱く、部屋の隅々まで照らし尽くすことはできない。隅々に残存する闇の存在感を、宮川は抜け目なく捉えている。

濃淡はくっきりしているが、渋みが強く、茶系統、緑系統の奥深さを微細に表現する色彩。大正時代を舞台にしているが、特にモダニズムを描くわけでもなく、江戸から昭和へ移り行く日本の文化の移ろいを、質実に映像化している。この映像が、1960年に撮影された大正時代であることには、複層的にノスタルジーを誘われる。河川沿いの木々に覆われた道は、1960年の日本の道なのだ。映像の一コマ一コマが、絵画としても成立する程のシャープな構図と深い陰影にて、この映画は最高峰の映像美を獲得している。

森雅之と川口浩

森雅之は小説家、有島武郎の息子である。川口浩は小説家、川口松太郎の息子である。「おとうと」は、幸田文の自伝的小説が原作であり、森は小説家の幸田露伴を演じていることとなる。森が幸田を演じるにあたって、父の面影を想起してないとは考えにくい。有島は45歳で心中死したのだが、当時12歳だった森も、成人後はプレイボーイで鳴らした。本作の森の演技に艶福家の面影はなく、無骨な父親を渋く演じているが、息子の放蕩に対する理解を示す表情に、自らの過去の悪行を想起しているように見えなくもない。田中絹代にしても、晩年に差し掛かった当時は、嫌味なお婆さんだが、若き日の派手な恋愛遍歴は、市川崑監督「映画女優(1987)」で、吉永小百合が勝気に再現してくれている。そして、川口松太郎は1960年当時、大映の取締役でもあった。長男浩は、完全な縁故入社だったのだ。

さまざまな系譜に位置する森/川口親子だが、俳優としての資質は全く違う。森雅之は、知的に端正な容貌、インテリの苦悩を体現する俳優として、日本映画を代表する俳優として評価されている。最高傑作は、成瀬巳喜男監督「浮雲(1955)」だろう。女にだらしないインテリの優柔不断を体現している。川口浩は、ボンボンの我がままぶりを体現し、市川崑、増村保造、小津安二郎が紡ぐ大映黄金期を爽やかに彩ったが、弱冠26歳で映画界を引退し、1970~1980年代には「水曜スペシャル:川口浩探検隊」シリーズのフィクショナルな演出で、ファンを魅了した。

市川崑のスタイリッシュな感性

岸惠子の気品と美しさの右に出る女優はいない。森雅之/田中絹代夫婦は、日本映画の歴史そのものだ。お坊ちゃま川口浩の可愛らしいヤンチャ。この上ない贅沢な素材を、あくまでドライに料理する、市川崑のスタイリッシュな感性。「銀残し」という新しい手法を得て、細部までスタイリッシュに完成された映像の味わい深さ。「おとうと」は、映画史上屈指の名作として永遠に刻まれていくだろう。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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