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ティッシュみたいだね 映画って

𠮷田恵輔監督 「空白」 2021 レビュー ネタバレあり

𠮷田恵輔監督 「空白」 2021 レビュー ネタバレあり

薄い人

 世の中には、目立つ人がいる。頭の良い人、仕事の出来る人、異性にモテる人、ルックスのいい人、声の大きい人。しかし、そんな特長のある人ばかりではない。むしろ、目立たず、存在感の薄い人のほうが多い。彼等は、自己主張することなく、ひっそりと生きている。彼等の考えていることは、周囲に伝わらない。攻撃性や嫉妬にも乏しいので、他人に打ち勝つことなど考えず、いつも黙っている。しかしそんな彼等も、ひっそりと、何かを愛しているのだ。

 現代は、弱肉強食の世の中ではない。モラルではなく、資本主義の論理として、弱者は生かされている。強者が富を独占するより、弱者に薄く分け与えるほうが、稼げるからだ。弱者も生産し、消費する。その絶対数が多いぶんだけ、マーケットは拡がり、ソフトな搾取を広範に達成できる。

 「空白」は「薄い人」を愛でる映画だ。交通事故で命を落とす女子中学生(伊東蒼)、万引きした伊東を追ったスーパーの店長(松坂桃李)、伊東を轢いてしまった若い女(野村麻純)。彼等は饒舌に語らない。饒舌に語るべき何かを持ち合わせていないかのようにも思える。「事故」さえ起きなければ、騒々しい人の陰で、ひっそりと生きている筈だった。

映画には、伊東の父親(古田新太)、松坂のスーパーのパート(寺島しのぶ)といった騒々しい人も登場する。彼等は直情的に行動し、怒りや正義感を貫く。しかし、「薄い人」は、直情の発露に戸惑うことしかできないのだ。

薄い人と濃い人

 松坂桃李は、亡き父の後を継いで、愛知県蒲郡市でスーパーを経営している。近隣にはイオンもできて、経営は苦しい。決してやり手の経営者ではないが、毎日誠実に働いている。34歳独身、彼女もいない。ある日松坂は、化粧品を万引きする少女(伊東蒼)を見つける。松坂は伊東の手を掴むが、伊東はそれを振りほどいて、店外に逃走する。県道を横断しようとして、伊東は車に撥ねられる。

 伊東は、ごく平凡な中学生だ。担任の教師に叱られ、家では片親の父(古田新太)に怒鳴られる。彼女は何も言い返すことができない。思いを言葉にすることが苦手だし、そもそも自分の想いもそれほど強くはない。夕食の途中に伊東のスマホが鳴る。古田は中学生にスマホは必要ないと考えているが、離別した母(田畑智子)が伊東に買い与えたものだ。スマホを持っていることが古田にバレてしまった。着信画面には「お母さん」と表示されている。おそらくは、母親とだけしか電話のやりとりはしていないのかもしれない。電話に出た古田は、田畑を罵倒し、スマホを家の外に投げ捨てる。伊東は、後でこっそり棄てられたスマホを拾いにいくことしかできない。スマホの画面は無残にひび割れているのだが。

 古田は荒っぽい漁師だ。伊東の死後、古田は松坂を攻撃する。一人娘を失った悲しみと怒りは、伊東を轢いた野村ではなく、松坂に向けられる。松坂は、上手に謝罪することさえできない。直接の責任ではないが、少女を死に追いやった格好になってしまったことに、心を痛めているが、その感情を表に出すことはない。野村は、警察の取り調べを受けるが、刑事責任に問われることにはならなかった。母親(片岡礼子)に付き添われて謝罪に訪れる野村に、古田は一顧もしない。恐らくは謝罪を提案したのは片岡なのだろう。罪悪感に押しつぶされた野村は自死を選択してしまう。

薄い人のメンタリティ

 薄さにもいろいろある。たとえば独自性の希薄。感情を表に出すことで相克を経験することが少ないからだろうか。薄い人の心情は、その人ならではのものにまで鍛えられておらず、ありきたりのものになりがちだ。しかし、ありきたりなのは表現力の薄さからくるものかもしれない。人との接触の場数が少ないので、自分の想いを言葉にするヴォキャブラリーが増えていない。往々にして、寡黙な人の一言が胸を撃つこともあるのだが、内なる熱量が薄ければ、そういう滲み出るものも少ない。声の大きさも関係する。小さい声では気持ちは伝わりにくいし、そもそも聞いてくれないかもしれない。

 登場シーンは少ないが、伊東蒼にはそれらすべてが当てはまる。学校でも目立たず、怖い父親になにも言い返せない少女。時折会う離婚した母にも、心のうちをさらけだすこともない。女性にとって容姿の優劣はいかんともしがたく、その人の人生を左右する。美貌で注目されることのない少女は、ただ大人しく、静かに生きている。野望など持つことなく、自意識も薄い。しかし、彼女はひっそりとではあるが、確かに生きていたのだ。彼女の死は、周囲の人間を悲しませ、惑わせもする。しかし、「明るくて元気な娘だったのに」という人はいない。父親でさえ、彼女の心の底をちゃんと見ていたのか、自問自答する。

 まだ社会に出ていない、市井の一中学生だった伊東の死が、実社会に影響を与える影は薄い。しかし、地味な少女のひっそりとした人生を惜しみ、愛でる気持ちに苛まれるのは、古田だけではない。彼等の無防備な佇まいには、儚さと弱さの魅力があるのだ。

松坂桃李の薄さ

 松坂が、伊東の人となりを知る筈もない。彼女がスーパーで万引きするところを見つけただけだ。彼女を死に追いやったことに苦しむが、万引きするにいたった心情まで考える余裕はない。古田への土下座もいかにも薄く、古田に土下座返しされてしまう。独身で彼女もいない34歳。スーパーの仕事にそれほど熱意を燃やしているようにも見えない。

 松坂は父の死の水際に、パチンコをしていて電話にでなかったと語る。スーパーを継ぐまで彼はどんな仕事をしていたのか、どんな恋愛をしてきたのか、友人関係は? 映画は、彼のこれまでの半生を全く描かない。無気力で孤独な男。一人暮らしのアパートはいかにもさもしい。古田に攻撃されてもマスコミに批判されても、ただとまどうだけだ。中学生である伊東と違って、立派な成人男性である松坂の薄さは、あまり同情されなさそうではあるが、こういう男が世には多く、彼等の地味な生産と消費で社会は成り立っている。

濃い人の試行錯誤

 おそらくは50代であろう古田新太。松坂と全く真逆の性格だ。常に自分の直情に従って行動している。伊東を叱るとき、松坂を難詰するとき、テレビクルーに攻撃するとき、伊東の学校を訪れ、いじめの有無を教師に詰問するとき。激昂し、強く相手を非難する。

 しかし、次第に古田に変化が訪れる。伊東が描いていた絵を目にし、自分も筆をとり、絵を描いてみるのだ。不器用ながら真剣に、娘の心の底に何が潜んでいるのか、辿るのだ。そして松坂に言う。「お前は俺に謝った。しかし、俺はお前に謝っていない。今はまだお前に謝ることはできない」事故が原因でさまざまに起きた歪みを俯瞰して見るようになったのだろうか。直情的な行動を続けるうちに、何か違う感情が彼のなかに芽生えたのか。

 英国のロックバンド、ザ・スミスに「Ask Me」という曲がある。“Shyness is nice,but shyness can stop you from doing all the things in life that you’d like to”訳すとこんな意味だろうか。「シャイなのは、感じいいんだけど、シャイでいると、やりたいことやれなくなるよ」全くシャイではない古田は、乱暴な試行錯誤の結果、未知の何かを掴みかけたのだが、松坂はどうだ。

 シャイな人が好感を持たれることも多い。彼等には攻撃の気配がないからだ。しかし、愚かな失態を犯すリスクを冒さなければ、人生は開けない。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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