シネマ執事

ティッシュみたいだね 映画って

小津安二郎監督 「お早よう」 1959 レビュー ネタバレあり

小津安二郎監督 「お早よう」 1959 レビュー ネタバレあり

戦後社会という桃源郷

1959年、東京。多摩川の河岸の集合住宅。丸の内あたりに勤めるサラリーマン家族が軒を並べて生活している。専業主婦同士、子供同士の間でごく自然に近所付き合いが産まれ、平凡に暮らしている。

このコミュニティは、太古からの普遍ではない。日本の歴史が稲作と同時に始まり、農耕が長らく生産手段の基本であったことを考えると、会社員の時代は20世紀初期に始まり、当時まだ40年たった程度だ。

近隣に水田を持ち、互いに協力しあって稲作を営んだ村社会は、厳しい戒律でお互いを束縛した。村人は結束して災や不作に立ち向かわないと、集落の存続すら危うい。かくして「空気」が支配する日本的村社会が誕生した。

「お早よう」の登場人物は、もっと朗らかに、かつ真面目に生きている。その姿はユーモラスな味わいを醸し、戦後社会の桃源郷を余すことなく活写している。サラリーマン(笠智衆、東野英治郎)、専業主婦(杉村春子、三宅邦子)、中学生や小学生の子供たち。善良な小市民の周辺には、押し売り(殿山泰司)や、芸能関係の仕事をしているかのような若い夫婦(大泉滉、泉京子)など、堅気ではない人たちも存在する。

「お早よう」は、戦後社会という桃源郷が、古き共同体の原理をベースに、戦後という時代に巧くアダプトしながらも、異端も完全には排除しない、バランスのとれた社会が確立していたことを示した傑作である。

呑気な人たちの魅力

またしても理屈っぽい話から始めてしまった。「お早よう」の魅力的な登場人物たちは、こんな小難しいことなど、考えていない。

初老のサラリーマンは、定年が近づく悲哀を語りながら、盃を傾ける。主婦たちは、町内会費ネコババ疑惑の噂話に余念がない。子供たちは、テレビを買ってほしいがために、ハンガーストライキや、一切口をきかないという抵抗を試みる。あまりにも平凡な日常が描かれるのだが、彼等の振舞いはキラキラ輝くばかりに魅力的だ。

例えば、笠智衆には、個性の欠片もない。酒場では「はあ、そうですなあ」などと相槌を打つだけだし、子供を叱るときは、「コラ!少し黙ってろ」と短く怒鳴るだけだ。全くもってヴォキャブラリーがない。息子に「男の子は無駄なおしゃべりするもんじゃない」と叱るが、自身で無口な男を体現している。飄々とした体躯で、ギクシャクと不器用に歩く。正直に言えば、笠智衆はどの映画を観ても一緒だ。このキャラしかできない俳優が、日本映画史を代表する名優なのか? 名優なのかどうかは難しい問題だが、この人物のムスッとした表情が、この上もなく魅力的なことだけは間違いない。

杉村春子は、余計なことばかり喋っている。人の噂話が大好きな、おせっかいなおばちゃんだ。こういう人の吐く毒は、内部で沈殿していないので、新鮮で明るい。いちいちうるさく、鬱陶しいのだが、結果的に結構世話になっているものだ。

杉村も日本演劇界を代表する大女優だ。築地小劇場から文学座にて、日本の演劇の屋台骨を支えた。小津安二郎を初めとする巨匠の映画では脇役に徹し、晩年はテレビドラマでも活躍した。この大女優が壮絶な人間ドラマではなく、世話焼きの普通のおばちゃんを演じているのだが、コミカルな味わいは絶妙だ。

子役が可愛いのは当たり前とも言えるが、笠の小さい息子を演じる島津雅彦の愛らしさ。明らかに小津は、この愛らしさをあざとくフィーチャーしており、幼い島津も自身のラブリーさを自覚している。

佐田啓二と久我美子のシャイな恋愛。いかにも善良で謙虚な二人の恋路は、誰しも応援したくなるだろう。

小津カラーのけばけばしさ

戦前からモノクロのフィルムに茫洋とした市民の悲哀を刻んできた小津が、カラーフィルムに初めて取り組んだのが、1958年の「彼岸花」だ。「お早よう」は小津のカラー2作目となる。以降、遺作の「秋刀魚の味(1962)」までの全6作品がカラー映画だ。

モノクロフィルムのノスタルジックな画調は、しみじみとした味わいと共に、人々の哀しみを滲ませていた。そうした小津の作風は、カラー化することによって一変する。

当時のカラーフィルムの色調は、毒々しい程に濃い。現実風景の色合い以上に、原色のけばけばしさが増幅されている。

その上小津は、特に食器や花瓶などで「赤」を強調する。

戦後の貧しい時代が終わり、加速度的に物質的豊かさを享受できるようになっていく。「お早よう」では、テレビの購入が大きなテーマになっていることが示唆的だ。

小津は、ごく自然に物質社会の到来を歓迎している。戦後の復興のもと、国民が勤勉に働いた結果、消費の楽しさを味わえるようになった。美味しいものを食べることも素直に楽しい。楽しい消費文明は、綺麗な色あいに満ちている。この楽観的な色合いは、戦前戦中の極端な禁欲主義を忘れさせてくれる。

「お早よう」で最も印象的なのは、実/勇兄兄弟が来ているお揃いのセーターだ。ベージュっぽい地味な色のセーターなのだが、胸のあたりに10cmほどの赤いラインが施されている。ここに「赤」を使ったのは、間違いなく小津のこだわりであろう。寒さを凌ぐのが衣服の第一義だとすれば、赤いラインなど防寒には全く関係ない。大人の衣服には、昔からさまざまなお洒落が存在した。それは、社会的な存在の立ち位置を示す深い意味があったはずだし、性的魅力をアピールする側面も大きい。

しかし、子供がお洒落をする必要などあるだろうか。彼等自身に経済力がないのだから、両親の経済的余力がここにまで及んでいる証跡なのだろう。しかし、笠智衆や三宅邦子が子供のファッションに関心が高いとは到底思えない。彼等が倹約を美徳とする古い世代の人たちであることは、モノクロ時代の小津作品にて印象づけられてもいる。

つまり、そのあたりで買った子供用セーターに、対して意味もなく、赤いラインが入っていたわけだ。セーターは子供の年齢に応じて、幾通りかのサイズがあったのだろう。賢い主婦である三宅は、息子たちの身長やウェストを正確に把握した上で、兄弟お揃いのセーターを買った。弟の勇は数年後に、現在兄が来ているセーターを着ることになるのだろう。ここには、弟にお古を着させる主婦の経済観念とともに、息子たちが仲良き兄弟であることを願う母親の愛情が溢れている。

かくして仲の良い兄弟は、一致団結してテレビ購入を、両親に要求することになるのだ。

学生服でもなく、無地の白いシャツでもなく、何気ない子供服を着た少年たち。この系譜は、「ドラえもん」ののび太やジャイアンに繋がっていく。画像を検索していただくと分かるが、「お早よう」の兄弟が着ているセーターとジャイアンが着ている服はほぼ同じデザインと色合いだ。

子供の目線

子供は、まだ大人になっていない人間ではない。子供には子供の社会があり、彼等を主役としても、子供向けではなく、大人の鑑賞に堪えうる物語は充分成立する。

当然のことながら、大人は昔子供だったわけで、子供時代に家族や大人たちをどう見ていたかを、しっかりと覚えているものだ。殺人事件や悲恋や戦争やタイムスリップがなくても、子供の目線から見た世界は、未知と驚きに溢れている。

大人は、「お早よう」を観るとき、まだ社会を知らなかった頃の目線に戻って、大人社会の曖昧な杜撰さを揶揄したり、子供時代の豊かな時間の流れを想い出したりするのだ。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA


Other

More
Return Top