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真利子哲也監督 「宮本から君へ」 2019 感想

真利子哲也監督 「宮本から君へ」 2019 感想

ロックンロール

 ロックンロール。ロックではなく、ロックンロールだ。池松壮亮がこんなに素晴らしい俳優になるとは思っていなかった。10代のころから多くの映画に出演し、近年は賞を獲得するなど、評価が高まっていた池松だが、老成しているかのような、曖昧な存在感を纏っていた。しかし、「宮本から君へ」で宮本を演じる池松に、曖昧さなど微塵もない。愚鈍に直情的な青年を渾身のオーラで演じ切っている。

 青年はいつも不器用だ。世間知らずで、身の程知らずの未熟者だ。社会に構成される価値など、ほとんどない。しかし、多くの青年はその事実を直視しない。見よう見真似で常識的な振舞いをこなしていれば、自身の無価値さに直面せずに済むわけだ。しかし、生きていればある程度の苦難にはぶち当たるので、「まあまあ成長」する。「まあまあ成長」することは、当然、ロックンロールではない。

 池松は、2つの苦難にぶち当たる。1つ目は、蒼井優との恋愛と結婚、2つ目は、一ノ瀬ワタルの暴力との闘いだ。蒼井は女たらしの井浦新と別れて、池松とつきあい始めるが、一ノ瀬にレイプされる。池松は泥酔して寝入っており、自分が寝ているすぐ横で蒼井が犯されていることに全く気が付かなかったのだ。蒼井にとっても池松にとっても、これ以上ない屈辱だが、一ノ瀬には遊び半分のプレイにすぎない。

暴力の怖ろしさ

 現代日本に、暴力の怖ろしさはほとんど存在しない。子供の世界では、昔とかわらず小さい暴力が振るわれているのだと思うが、大人の強靭な体力をフルに使って殴られるなどということはほとんど起こらない。歌舞伎町で飲んでいても、怖いお兄さんに殴られそうな状況にはならない。恥ずかしながら私は、いい年して初対面の人と酒場で口論になることもあるが、互いに暴力を振るう空気にはならない。

 しかし、自分の女をレイプされて、復讐しないわけにはいかない。いや、警察に行って告訴するか。一ノ瀬の父親であるピエール瀧に賠償させるか。強姦の成立要件は厳しいし、裁判でさまざまなことを明らかにされると、女性の受ける精神的ダメージは大きい。瀧は池松の取引先の部長であり、池松を可愛がっている瀧に話して、父親としての解決方法を考えさせるのが、常識的なのだろう。

 池松も即座には行動できない。怖いのだ。ひるんでいる姿を蒼井に詰られたりもする。それでも、一ノ瀬に突進し、あっけなく返り討ちに会う。ラグビー選手である一ノ瀬は、堂々たる巨漢、多くの暴力を経験してきた面構えをしている。小柄な池松とでは、見るからに勝負にならない。いかにも喧嘩なれしている身のこなしで、池松の前歯をへし折る。おそらく殺すことも簡単にできるのだろう。この恐怖は、並大抵ではない。

NTR

 「NTR」というAVのジャンルがある。女を寝取られると、筆舌尽くしがたい侮辱を感じる。あらゆるネガティブな感情が渦巻く。そして、女を寝取る快楽は、これまた筆舌尽くしがたく、甘い。

 婚姻外の性交渉を禁止するか、完全にフリーセックスにするか。ほとんどの人間は、この両極端のどちらかに依拠することはできない。両極端の間には、無数のグラデーションによる選択肢があり、どの軸に自分を置くのかなど、決められるものではない。ましてや恋愛の相手とグラデーション上の立ち位置を一致させられるわけもない。我々は自由な社会に生きている。このグラデ―ションによる痛みを厭うのなら、独裁を志向するしかない。国家が、婚姻外の性交渉を禁止するか、婚姻を禁止するか、どちらかに決めてくれれば悩まなくていいのだ。

 TV版「宮本から君へ」では、池松は華村あすかと交際する。華村は、彼氏と別れたのをきっかけに池松とセックスするが、よりを戻すと池松の元を去る。そして、また別れたので、池松に再度近づく。要するに保険だ。蒼井にしても、井浦が浮気しまくっているので、自分が池松とセックスしたのも同罪だと言う。一ノ瀬にレイプされたことで、池松も非難するが、池松の猪突猛進な直情に甘えて、結婚するのだ。

 華村も蒼井も、「1対1の束縛」に甘えている。自由競争で欲しい男を獲得する覚悟はないのだが、男を批判したり、甘えたりしながら、迂遠に忠誠を要求しているのだ。一ノ瀬はフリーセックス派だ。自分の欲しいものは、強引に力ずくで奪う。池松だけが、「1対1の束縛」を敢えて、自分に課そうとしている。不器用としかいいようがないが、それが池松のロックンロールなのだ。

俗情との闘い

 ロックンロールとは、俗情との闘いだ。俗情は、コンセンサス、常識、或いは「空気」と言い換えてもいい。社会が要求する暗黙のルールだ。社会の秩序を構成するために、先人たちは試行錯誤し、その結果としてルールが出来あがっている。仕事や生活は、慣習としてのルールに沿って進めるほうが、リスクが低く、効率も良い。

ルールは見直さないと陳腐化するが、先人は既得権益を守りたいので、変えない。そこで動員されるのが、解釈の変更だ。TV版で描かれる商慣習と営業マンの挿話はここに力点を置いている。営業は、ルールを作ったり、見直す仕事ではない。現行のルールの良い点、悪い点を機敏に解釈し、現実の状況を動かす仕事だ。池松の先輩社員である松山ケンイチは、解釈の巧者として、池松を指導する。

しかし、解釈を巧みに行うことが、理念のグランドデザインをブラッシュアップすることの妨げとなる場合もある。現実と闘い、解釈を重ねることの難しさを池松は学ぶのだが、理念の追求への志向も抑えきれない。その葛藤から、両者を両立させることこそ、仕事の本質であることに、池松は気づいていく。多くの「社会人」は、現実という俗情と結託して、グランドデザインを机上の空論として蔑んでいる。

 池松に、グランドデザインはまだない。暗黙のルールに従うことを拒否しているだけだ。しかし、拒否だけではない。新しい理念を追求したいという欲求がある。そして、俯瞰でデザインを描くには、現実と渡り合うヒリヒリした感覚が必須であることも直感している。

ゼロからの闘い

 人は、既存のインフラを享受して大人になる。道路やライフラインなどもそうだが、法律や慣習や言語こそ、偉大なインフラだ。しかし、自分自身は「ゼロ」からのスタートするのだ。言葉を話したり、さまざまな知識のもとで行動することは全て、自分ではなく、先人の遺産を用いているだけだ。自分の考えなどなくても、俗情に従っていれば生きていける。なんとなく生きても、多少の経験値はつく。勘違いが起こる。自分はインフラを作っていないのに、若輩者に説教したりする。インフラを使う解釈に多少習熟しただけなのに。

 女もそうだ。若くて美しい女は、自らの性的価値を最大限に活用する。しかし、美しくない女は? 若くない女は? 蒼井のように若くも美しくない女は、わけのわからない俗情と結託している。

 池松は、いろんな人から何度も叱責を受ける。「お前はバカだ。救いようがない。」池松は答える。「そのことはわかっています。」叱責者「じゃあ何故改めないんだ? やっぱりお前はバカだ。」

 叱責者こそバカだ。池松は、解釈の変更や俗情との結託で問題を解決する「ショートカット」を選んでいないのだ。インフラの援けを借りず、ゼロからの自分を信じて、切り開いていく。それが、ロックンロールだ。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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