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黒沢 清監督 「クリーピー 偽りの隣人」 2016 感想 ネタバレあり

黒沢 清監督 「クリーピー 偽りの隣人」 2016 感想 ネタバレあり

サスペンスと人間心理

奇怪な連続殺人。犯罪心理学者の刑事時代の過ち。転居先の怪しい隣人。被害者遺族の可憐な少女。米国のサスペンススリラーのような道具立てだ。巨匠、東野圭吾もそうだが、この映画の原作者である前川裕も、米国のスリラー小説や映画をたっぷり吸収しているのだろう。前川は、比較文学を専門とする法政大学教授でもある。日本のテレビドラマでも、米国風の意匠を纏って洗練された作品が多く、大衆の人気を博している。

黒沢清にとって、この確立されつつあるフォーマットは、絶好の衣装なのだろう。黒沢は一貫して、人間のこころを疑っている。人間のこころほどあやふやで、いい加減なものはない。社会の秩序を保つために、無理やり「常識」という縄で拘束しているが、一旦たがが外れると、わけのわからないことになるのが、人間の精神なのだ。精神異常者と一般人の間に本質的な差異はない。

連続殺人犯である香川照之は、完全に狂っている。モラルや良心など、はなから持ち合わせていない。こんな凶悪な殺人者を野放しにしてはいけない。西島秀俊は、犯罪心理学者だ。元警察官だが、今は大学で教鞭をとっている。しかし、特に教育者としての信念に燃えているわけではなく、犯罪者の異常心理を研究することに取りつかれている男だ。

香川のような男を描写するとき、黒沢は実に楽しそうだ。完全な異常者の狂った言動は、偽善にまみれた社会の寸鉄を刺すだけでなく、真っ当な社会の存在意義そのものを揺さぶる。「CURE(1997)」の萩原聖人、「ドッペルゲンガー(2003)」の役所広司がその系譜だ。「散歩する侵略者(2017)」の松田龍平、「叫(2007)」の葉月里緒奈もそうかもしれない。

真っ当な社会に住む常識人などというものが存在するのか? 疑義というより否定なのだろう。香川はそんな極北から、常識側に位置する西島をじわじわと否定していく。西島と竹内結子の夫妻。美男美女が築いている家庭の幸福は、本当にかけがえなく、美しいものなのか? 西島は、本当に犯罪を憎み、根絶するために犯罪心理学を研究しているのか?

サイコパスが美女を誘惑する

竹内結子は、細身でスタイルが良く、知的な美貌を持つ、美しい妻だ。夫婦の会話からは、素直に優しい性格が伝わってくるが、精神的な不安定さも見え隠れする。おっちょこちょいなしぐさは、可愛らしい奥さんの微笑ましさを印象づける。西島は、この申し分ない妻に充分な愛情を持ち、夫婦の絆を大事にしているように見える。

竹内は、転居の挨拶に隣家の香川を訪ねる。香川の言動はどこか怪しい。フルタイムの仕事に就いておらず、日中も自宅にいる。彼の妻は、こころを病んでいるらしく、顔を魅せない。中学生の娘(藤野涼子)は可愛らしい娘だ。竹内の飼犬であるマックスや、料理の振舞いなどを通じて、少しずつ近所づきあいが始まる。香川は、通勤途中に西島にも接触し、警戒心を解いていく。

ここからの急展開。竹内は何故、香川に篭絡されたのか。連続殺人犯である香川は、どんな手口でこれまでも人々のこころを掌握してきたのか? サイコパスである香川には催眠術のような特殊能力があるのか? これこそ、犯罪心理学の専門家である西島の解明したいところなのだろうが、西島にも、観客にも、その謎はわからない。それどころか、西島はあっさり妻を奪われてしまう。

香川が竹内と性行為をしたか、どうかは映画では描かれない。セックスそのものより、精神的に篭絡される、可愛くも美しい妻の脆さ。いちばん大事なものが、あっさり奪われてしまう屈辱。

犯罪心理学者と被害者家族

香川が竹内に篭絡されている間、西島は、香川の過去の犯罪の被害者遺族である川口春奈に接触し、手掛かりを得ようとする。西島が何故ここまで強く犯罪者の心理に拘泥するのかはわからない。何か心理的なトラウマがあるのか? それとも単なる職業的な熱心さなのか。香川が隣人だからか?

おそらく黒沢は、「真摯に仕事する人」を揶揄しているのだ。西島は、警察官時代、犯罪心理学のオーソリティとして職務に就いていたが、サイコパスとの説得交渉に失敗した過去を持っている。現在は大学教授として、犯罪心理学を研究しているが、警察時代の禍根を忘れることができず、更に犯罪者の心理解明にのめり込んでいる。そんな時に香川と出会い、彼の足跡を調べていくうちに、川口春奈に行き当たる。

川口は、事件の当事者として大きな傷を負っているが、克服するために、過去を忘れようとしている。しかし、真相を知りたい気持ちを完全に拭い去ることはできず、西島の強い要望に応じて、面談を行う。

面談における西島のヒヤリングは、かなり強引で自分勝手なものとなる。警察の事情聴取にも近い彼の態度は、川口の心の傷への配慮に著しく欠けており、彼女の信頼を失う。真相の追求にのめりこむ西島は更に川口に強引に接触し、決定的に拒まれる。自らを善と信じ込んでいる西島の真摯な仕事への没入は、かつての同僚である刑事(東出昌大)や、彼に信頼を寄せる年配の刑事(笹野高史)の死の遠因ともなってしまう。

西島の川口への迫り方は、客観的に見ると性的な暗喩をも想起させるが、彼等にはそんな関係は生まれず、そんなことをしている隙に妻を奪われるのだ。

旬の俳優の名演

西島秀俊は、現在最も好感度の高い俳優である。多くの主演諸作では、責任感溢れる成熟した男を演じることが多い。しかし、その陰に、現代の中年男が隠しきれない幼さ、弱さも垣間見せてもいる。昭和の名優が魅せたワイルドな無邪気さや、鉄の信念はないが、平成時代のリアルな男性像を体現する存在感は、名優と呼ぶに値する。

「犬猫(2004)」、「さよならみどりちゃん(2005)」、「メゾン・ド・ヒミコ(2005)」でみせた、自分勝手な女たらしぶりも忘れ難い。

対して香川照之は、相当のテクニシャンだ。平成時代に限らず、日本映画史上においても有数の技巧派俳優だろう。竹内結子が最初に近所づきあいを試みる際の、香川のツンデレな対応。何を考えているのか皆目わからないが、様々なことを相手に想像させる。全く心がこもっていないセリフの数々、そしてその言い回しの口調。絶品だと言わざるを得ない。

香川のエキセントリックな存在感が映画をぐいぐい牽引し、事態を凶悪にしていく。翻弄されるばかりの西島を観客は応援したいが、彼のやり方にも同意できない。竹内や川口といった美しくも可憐な女性を大事にしていないからだ。かくて二人の対決は、胸躍るものではなく、痛々しい消耗戦となる。

黒沢清のエンタテイメント

サスペンスの定番意匠を借りて、人間の精神の不安定さ、脆弱さ、無機質さを描く。しかしこの映画は、きっちりとエンタテイメントとして着地している。黒沢清は、自身の作家性を強く刻みながらも、俳優たちの魅力も存分に引き出して、「面白い映画」に仕上げているのだ。細部の1シーン、1シーンが小気味よく映し出され、かつ、滅法面白い。

北野武が全盛期の切れ味を失った現在、黒沢清こそ、日本映画の最高峰と言えるだろう。

しかし、昨今の日本映画は世代交代が進んでおり、若い映画監督が続々と意欲作を発表している。年少の彼等が描く世界は、総じて小さく、勢いに欠けるように感じるのだが、それは偏見かもしれない。今後、日本映画の最前線に立つ彼等の作品を更に注視していきたい。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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