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鈴木清順監督 「夢二」 1991 レビュー ネタバレあり

鈴木清順監督 「夢二」 1991 レビュー ネタバレあり

難解な映画ではない

 「夢二」はわかりにくい映画ではない、ということがようやくわかった。若いころのほうが、物事を率直に自分の眼で見られないものだ。経験値も低く、マスコミの刷り込みの力も大きい。鈴木清順は、難解な映画を作る監督だと思っていた。「ツィゴイネルワイゼン(1980)」を初めて観て、幽玄な異境に誘われた。その後観た日活時代の諸作が、分かりにくいのかどうか、清順美学とはどういうものなのか、良くわからなかった。

 そんな頃公開された新作が「夢二」だった。「ツィゴイネルワイゼン」と同様、大正時代を描いた作品、主演は沢田研二。記号としては、分かり易かった。しかし、キネマ旬報ベストテンには、ランクインしなかった。

 それから29年。おそらく4~5回目の鑑賞だ。わかった。わかりにくくない。清順がちりばめている大正時代の意匠は、ネオジャパネスクとして定着している感覚と遠くない。「ツィゴイネルワイゼン」のような酷薄さはなく、沢田が発散する明るいポップさに満ち溢れている。宮崎萬純も広田玲央名も匂う立つほどに、美しい。彼女たちの美貌に拮抗できる色男は、ジュリーしかいない。当時43歳の男盛り。洒脱で独自の軽みを存分に発揮している。

 ストーリーはない、と思い込んでいたが、案外そうでもない。金沢を舞台に有閑階級の男女が、芸術と色事を漂うように遊んでいる。彼等の会話は意外と凡庸で、要するに大した話ではない。

 「夢二」はポップな映画だ。晦渋な精神性も奇矯な映像表現もない。大正時代という桃源郷に遊ぶジュリーと美女のちょっと幻想的なコント、といったところか。

沢田研二のスター性

 1970年代後半から1980年代前半、沢田研二こそが、歌謡界最高のスターだった。毎日のようにテレビ出演し、トランスセックスな衣装で大衆の眉を顰めさせた。作曲家としても卓越しており、ロックミュージシャンとしてのセンスも優れていたのだが、アーティスティックな側面は前面に出さず、歌謡曲全盛期のフォーマットでセールスと闘った。

 この時期、映画俳優としても、重要な作品に主演している。長谷川和彦監督「太陽を盗んだ男(1979)」、森田芳光監督「ときめきに死す(1984)」、「夢二」の3本が、金字塔だ。

 「太陽を盗んだ男」では、原爆を製造し、日本政府を脅迫する中学教師を演じた。まだ線の細い若者だった沢田の、ニヒルと人懐っこさが同居したキャラクターは、長谷川の荒唐無稽なストーリーにリアリティを与えた。

「ときめきに死す」では一転、無口な殺人者を演じた。寡黙な凄腕に見える沢田を、奇妙な眼でみつめる杉浦直樹と樋口可南子。この奇妙な構図は、森田風1980年代のVRだった。

そして、「夢二」。清順のポップな活劇への嗜好を堂々と、かつ飄々と体現して見せた。

原田芳雄の安定感

 沢田の軽みを、どっしりと受け止めるのが、原田芳雄だ。原田は、「ツィゴイネルワイゼン」でのワイルドな狂気を継承しつつも、たおやかな金沢の風光に合わせてマイルド化している。大正時代には、原田のような男が、闊歩していたのだ。

 キーワードは「矛盾」だ。原田は、世の中の矛盾を当然のこととして受け入れ、楽しんでいる。自分自身が矛盾のかたまりだということもよく承知している。矛盾だらけの世間をのし歩き、自らの欲望をまき散らす、リアリスト。そもそも「男」とはこういうものなのだろう。「益荒男」とはこういう荒っぽい男なのだろう。

 コロナ自粛は留まることを知らない。人々は自由に飽きて、奴隷に戻りたがっているのだろう。自由に生きるということは、無数の矛盾を感性で咀嚼し、論理化することだ。しかし、ここで出来上がった論理は、矛盾に溢れていて、ワクワクするほど愉しい。そんな愉悦を堪能した、大正のデカダンを原田は体現している。

 対する沢田は、特定の時代を象徴するアプローチを採用していない。「手弱女」な沢田は、根っから、女たらしの優男だ。歌うたいの芸人だ。竹久夢二は女のエロスをポップに絵画化したのだろうが、沢田は鬼気迫るエロスの画家ではない。大阪の商家のボンボンのような佇まいなのだ。

宮崎萬純と広田玲央名の美しさ

 竹久夢二が愛した女性たちの写真を見たが、全く美しくない。昨今、明治や大正の写真をAIで鮮明化した動画がネットに出ているが、やはり、女性の顔が美しくない。しかし、男性は違う。精悍な顔、引き締まった肉体、しかしどこかひょうきんな面持ち。豊かな個性に溢れている。社会インフラが整っていない時代、毎日の労働は厳しく、男性は強く、愉快でなければ生きていけなかったのだろう。逞しさが表情に出ている。女性もまた、厳しい生活を営む強さを持っていたのだろうが、そんなことで女は美しくならない。

 20世紀末の女が美しいのは、メディアの隆盛に起因している。美女は、様々な衣装をまとい、不特定多数の眼に晒されるようになった。テレビも雑誌も、美しい女性を映し続け、男は、二次元の女性に恋するようになった。実生活では絶対にお目にかかれないような美しい女性がスクリーンや写真に溢れ、性的魅力を幾重にも増幅している。だからこそ、更に美しさに磨きがかかる。竹久夢二の美人画は、浮世絵の伝統を受け継いだ、大正時代のメディアの先端だったのだ。

 宮崎萬純と広田玲央名は、鈴木清順の好みのタイプだったのだろう。純和風ではなく、西洋的な豪奢と洗練も纏った艶やかな和服姿を映画で観る行為は、眼福としかいいようがない。特に広田玲央名の蓮っ葉でダラダラした立居振舞い。超絶グラマラスな広田の股体が和服と日本家屋の元で披歴される様は、清順自身がいちばん喜んだに相違ない。

 1991年が日本文明の頂点だった。秘匿の色香から、露出に転じ始めて十数年。この後、宮崎や広田は何度も裸体を晒したが、「夢二」の美しさには遠く及ばなかった。

 若い女性の露出は更に進み、誰もが変態的性行為を喜んで見せる時代となった。秘匿と露出の絶妙なバランスは失われ、美女の価値は暴落した。

鈴木清順は前衛ではない

 「夢二」に意味はない。日本文化の美しさが、ちょっと奇矯な感性で描かれているだけだ。「ツィゴイネルワイゼン」や「悲愁物語(1977)」では、意味のなさをあからさまに誇張していた。「殺しの烙印(1967)」も悪趣味な誇張だ。「殺しの烙印」をなぞったような、廃墟や無機質な建物は、1970年代のドラマや子供向けヒーローものに、溢れていた。

 日活アクションの礎を築いた石原裕次郎は、米国かぶれのスノッブだった。しかし、ドメスティックな小林旭や宍戸錠が主演となると、インチキなデフォルメが必要になってくる。1960年代、どれを観ても区別がつかない同じような筋立ての映画が大量生産された。「野獣の青春(1963)」や「関東無宿(1963)」は、数多のプログラムピクチャーへの批評ではない。安定したモンキービジネスのフォーマットの元で、好き勝手に無意味な映像を垂れ流しているだけだ。

 鈴木清順は過大評価されている。深刻ぶった大作映画のくだらない意味性に辟易した映画評論家は、意味を排除した清順のスタンスに喝采を送ったのだろう。意味のない映像を深読みして、過度に前衛性を喧伝したのだろう。しかし、清順はそんな小難しいことは考えてない。ギャングとドンパチ、日本の花鳥風月、仇っぽい女、原色の色遣い、が大好きなだけだ。

 鈴木清順は前衛ではない。好き勝手なことをやっているだけのジジイだ。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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