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市川崑監督 「細雪」 1983 レビュー ネタバレあり

市川崑監督 「細雪」 1983 レビュー ネタバレあり

沈みゆく関西

 古代から日本の中心であった関西は、存在感を落とし続けている。現在の関西人はみんな、お笑い芸人のテンプレートを演じている。圧倒的なクオリティを誇った芸能だが、松本人志という異端を大御所化したせいで、停滞している。

 「細雪」は昭和初期の阪神モダニズムを描いている。旧い問屋の姉妹が、上本町の本家と芦屋の分家を行き来する。上本町には長女夫妻(伊丹十三/岸惠子)が住む。分家は次女夫妻(石坂浩二/佐久間良子)の家だが、三女(吉永小百合)、四女(古手川祐子)も居候している。船場にほど近い本家は、旧家のしきたりに縛られているが、阪急が開拓した高級住宅地である芦屋には、西洋風の瀟洒な街並みが連なり、神戸から吹くオリエンタルな風が、古い関西の歴史との絶妙な混交を醸している。

 後に、大阪/神戸は東京/横浜に敗れ去るが、「細雪」は、かつて関西に花開いた文化と忍び寄る衰退を、シャープな感覚で切り取っている。シャープなのは、まずキャスティングだ。関西を描く作品なのに、主役の四姉妹に関西ネイティブを配置していない。岸/吉永は東京/横浜の出身であり、全然関西人らしくない。関東風にドライな彼女たちに関西の旧家のお嬢様を演じさせることで、ベタベタの関西テンプレートに陥ることを律している。

大女優の分岐点

 岸惠子はいつでも、岸惠子そのものだ。気品と合理性を愛するドライな女だが、ふと滲み出る優しさからは、可憐な乙女の可愛らしさが華やかにあふれ出る。彼女の出演した市川崑作品はどれも素晴らしいが、60年代東京のモダニズムが炸裂した「黒い十人の女(1961)」を除いて、「おとうと(1960)」、「悪魔の手毬唄(1977)」、「女王蜂(1978)」、「古都(1980)」では、ドメスティックな女性像を気品高く、可憐に体現している。

 佐久間良子は、「病院坂の首縊りの家」(1979)に続く市川作品への出演だが、この二作で見せた品の良いおばさまも、なかなか可愛らしい。「細雪」の佐久間は、姉や妹の身勝手さに頭を悩ませるが、オロオロするだけでソリューション力は全くない。佐久間だけなく、この四姉妹は、仕事をしていないだけでなく、家事も女中に命じるだけで、基本的になんにもしていない、お嬢様なのだ。

 最大の問題は、吉永小百合である。幾度もお見合いをするが断り続け、毎日茫洋と漂っているかのように暮らしている。日活時代の吉永は、利発で明るい美少女だった。健気に生きている姿は、みんなに愛される。しかし、みんなに愛されるということは、誰にも本気で愛されていないということだ。70年代、日活の崩壊とともに20代後半の女性となった吉永は、類型的でつまらない女優になっていた。

 「細雪」の吉永は、存在感が薄い。個性を存分に発揮する岸と佐久間の安定感、古手川も気合を入れて健闘する。ほとんどしゃべらない吉永は目立たないし、着物の着こなしや美貌も、若いのか若くないのか中途半端だ。

 しかし、「細雪」は石坂浩二が吉永小百合に惚れる映画なのだ。石坂目線で視ると分かってくる。はかなく漂う茫漠とした振舞いには、ほんのりと、ただならぬ妖気と性的だらしなさが潜んでいる。石坂はこの家族のなかで、金田一耕助のようにあたふたしているのだが、実は、手に入らぬ女への執着を内面に滾らせているのだ。この執心は、「おはん(1984)」で爆発し、吉永もエロくそれに応じるのだが。

魅力的な男優陣

 伊丹十三は、映画監督を始めるための準備として、本作に出演したらしい。同年に公開された「家族ゲーム(1983)」「居酒屋兆次(1983)」での演技も印象深い。京都に育った伊丹は、関西の気風を知る一人だが、安易な関西テンプレートをなぞらず、個性的な人物を巧みに造形している。銀行員でありながら旧家の養子となった男は、妻とその姉妹に振り回されながらも、あきらめず丁寧に調整して、波風を収めていく。

 小坂一也、細川俊之、江本孟紀が、吉永小百合の見合いの相手だ。鮎の養殖を研究する公務員の小坂、ダンディーに余裕綽々だが、プライドも高い細川。台詞もなく、とくに演技していない江本。細川はともかく、元カントリーシンガーの小坂や、元プロ野球選手の江本は、映画的に吉永の相手とは考えられない。

 桂小米朝、岸部一徳が古手川祐子の恋人だ。当時端役だった元タイガースの岸部一徳は、のちに日本映画を代表する名優となったが、まだ印象が薄い。「細雪」ではむしろ、小米朝のクセのあるリアル関西人ぶりが際立っている。小米朝は船場のボンボンで、真面目に仕事もせず、遊び歩き、怪しい儲け話に引っかかったりしている。小賢しい振舞いの自分勝手な若造だが、同じようなタイプでも東京人とは決定的に違う、恐らくは明治~戦前までの関西黄金期のノリを完璧に体現している。何といっても「上方落語中興の祖」と言われた桂米朝の息子だ。後に自身も落語界の大御所となった。

市川崑のヴァーチャルなモダニズム

 「モダニズム」は、もはや懐古趣味の言葉だ。「modern」には「最新の」という意味もあったが、もう最新の意匠をモダンとは誰も呼ばない。1983年の時点で、既にそうだったのだろう。1983年の風俗よりも、1938年の風俗のほうがモダンなのだ。そして、1938年には、東京よりも阪神のほうがモダンだった。1938年当時市川崑は、アニメーションを作っていた。驚くべき先進性だが、そのころは、嵐山で雨に濡れる桜になど、興味なかったのだろう。

 45年後、戦前の関西に立ち返った市川崑。リアルタイムで当時の大阪や京都を知っている彼は、安易な懐古趣味に溺れない。しかし、新鋭の森田芳光や相米慎二のように80年代という同年代のダイナミズムを描く感性はもうない。であれば、1980年代という社会の時間軸ではなく、自身の時間軸で45年前を再参照し、独自の感覚で滅びゆく関西をドライに切り取って見せた。これは、リアルな1938年ではない。谷崎文学の再現でもない。市川崑という映画作家が創出した独自のフィクションなのだ。そのために、毒にも薬にもならぬ女優だった吉永小百合からヴァーチャルな神秘性を無理矢理引きだし、このフィクションの中核に据えたのだ。

吉永は、まだ半信半疑だ。肝も据わっていない。「キューポラのある街(1962)」で初々しく登場した少女は、利発なお嬢さんのリベラルな青春と恋愛を演じてきた。「男はつらいよ」にも出演した。父との葛藤、亡き夫を思いながら、障害者施設で働くことで次のステップを踏み出す。そんな偽善の罠に陥っていた吉永が、神秘性などという、自分のなかに全く存在しないものを表現させられた。38歳、遅いのか早いのか。岸のようなシャープな感受性をもっていない凡庸な女優が、フィクションというまがい物を初めて表現した瞬間が「細雪」に刻まれているのだ。

「おはん(1984)」では、石坂とのヴァーチャルな神秘の共有を、リアルで残酷な性愛に露出した。「細雪」では、芦屋という記号のもとでプラトニックにすれ違った二人が、匿名性を強めて、性欲を露わにする。いつも茫漠としている石坂浩二も、桂小米朝のような無責任さをやるせなく表出し、身勝手な色男を体現した。「映画女優(1987)」では、ヴァーチャルな構造が更に複層化された。女優の虚像を堂々と演じて、ラストシーンでは「おとうと(1960)」の岸惠子に挑戦状を叩きつけた。吉永小百合が凄かったのはこの市川作品3本だけ。その後、「永遠の大女優」という化け物となり果てたのだが、それはすべて、市川崑のせいだったのだ。

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佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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