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佐向大監督 「教誨師」 2018 レビュー ネタバレあり

佐向大監督 「教誨師」 2018 レビュー ネタバレあり

あらすじ


プロテスタントの牧師、佐伯保(大杉漣)。彼は教誨師として月に2回拘置所を訪れ、一癖も二癖もある死刑囚と面会する。無言を貫き、佐伯の問いにも一切応えようとしない鈴木(古舘寛治)。気のよいヤクザの組長、吉田(光石研)。年老いたホームレス、進藤(五頭岳夫)。よくしゃべる関西出身の中年女性、野口(烏丸せつこ)。面会にも来ない我が子を思い続ける気弱な小川(小川登)。そして大量殺人者の若者、高宮(玉置玲央)。佐伯は、彼らが自らの罪をしっかりと見つめ、悔い改めることで残り少ない“ 生” を充実したものにできるよう、そして心安らかに“ 死” を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞き、聖書の言葉を伝える。しかしなかなか思い通りにはいかず、意図せずして相手を怒らせてしまったり、いつまで経っても心を開いてもらえなかったり、苦難の日々が繰り返される。それでも少しずつ死刑囚の心にも変化が見られるものの、高宮だけは常に社会に対する不満をぶちまけ、佐伯に対しても一貫して攻撃的な態度をとり続ける。死刑囚たちと真剣に向き合うことで、長い間封印してきた過去に思いを馳せ、自分の人生とも向き合うようになる佐伯。そんな中、ついにある受刑者に死刑執行の命が下される……。


http://kyoukaishi-movie.com/story.html

名脇役大杉漣、最後の主演作

 2018年に66歳で亡くなった大杉漣。1980年から膨大な数の映画に出演し続け、北野武作品の重要なピースとして存在感を示した名優が、最後に自身のプロデュースのもと主演したのが「教誨師」である。

 大杉の主演作は少ない。妻の不貞に欲情するSM作家を演じた「不貞の季節(00)」、前妻への恋情を抑えられなくなる玩具店主を演じた「棚の隅(06)」等、自らが能動的に行動する人物ではなく、腐れ縁の女性に翻弄される中年男の哀愁を表現していたのが印象深い。

 「教誨師」も周囲に翻弄されるタイプの主演作だ。教誨師の大杉は、エキセントリックな死刑囚たちとの対話に惑わされながらも、愚直に自らの責務を問いなおし、果たそうとする男だ。映画ラストでは、やはり妻に振り回されている男であることが描写され、妻の不貞も示唆される。映画では描かれないが、大杉は妻と情夫を殺害したのかもしれない。

死刑囚たちとの対話

 執行を待つ死刑囚たちの心情は、穏やかなものではない。教誨師の役割は、彼等の声に耳を傾け、彼等が罪に真摯に向き合い、少しでも心の安寧を取り戻すさまを見守ることなのだろうか。彼等の後悔、怨嗟、そして何よりも死への恐怖は、想像を絶する。

 しかし大杉は、ことの深刻さについて、少し鈍感なように見える。穏やかに彼等に寄り添おうとする姿勢は好感を持てるが、話題の選択や相槌の打ち方がありきたりで、途方もない闇を抱えた人間に対峙している、という緊張感や覚悟に欠けている。少なくても、人生経験豊富で、人間心理の洞察力に長けた人物とは思えない。

 文盲の老人である五頭岳夫は、知性の高い人物ではない。それゆえにか、数々の不幸に見舞われてきたことをポツポツと語る。子供のような感性を残した五頭であれば、さすがに扱いやすいのか、大杉の平凡な優しさも大いに感謝される。

 ヤクザの組長である光石研は、世慣れた社交的な人物であり、大杉とのコミュニケーションも光石主導で進む。このくだけた雰囲気は、刑務所での教誨の対話ではなく、居酒屋で偶然隣り合わせた客同士の気さくな会話のようだ。

 烏丸せつこは、典型的な大阪のおばちゃんだ。自分勝手にしゃべくるさまに可愛らしさもある。こんな人の弾丸トークには、少し辟易しながら、聞き役に徹すればいい。ちょっと大げさなぐらいに相槌を打てば、大いに喜んでくれる。

玉置怜央の悪魔性

 最も気が重いのは、計画的に17人を殺害した玉置怜央だ。小賢しく頭の切れる玉置は、世界の無秩序やくだらなさに憤りを感じている。

しかし、現実社会にコミットして変革していく覚悟はなく、斜に構えて、愚かな社会を冷笑している。玉置が吐く世界への呪詛は、生半可な知識のみに基づいていて、いかにも幼いのだが、大杉は、堂々とした態度で圧倒することも、鋭く叱責することもできず、ただ困惑の表情を浮かべるばかりだ。

 不用意に「命の尊さ」について口にしてしまった大杉は、自身が肉食で命を奪っていることや、動物の種別によって人間が命を優劣させている現実について、何も考えてないことを玉置に指摘される。動物ではなく、人間の命のことだけに論点を変えようとしたところ、当の死刑囚である玉置に、死刑による殺人の是非を突き付けられて、絶句してしまう。

 玉置怜央は、演劇の世界で俳優、演出家として名を成してきた人物で、これが映画初出演である。同じく演劇畑出身の大杉の死と入れ替わるように、また一人素晴らしい映画俳優が登場したのだ。「教誨師」での玉置の世を拗ねた表情は、若い男の未成熟な魅力を表現する普遍的な手法であり、演劇界のベテランである玉置は、まずは常套的な駒を順当にこなした。俳優としての次回作も楽しみだが、自身の監督作も観てみたい。

虚言と性の承認欲求

 玉置のネガティブ性は、ポジティブ変換する可能性も秘めている。方向性は大きく誤ってしまったが、彼は自身の欲望よりも世界の秩序や正しさを希求している。その稚拙な思想には、現実性の担保は全くなかったのだが。少なくても彼は自分に嘘をついてはいない。

 年長の死刑囚たちは、揃って虚を吐く。沈黙し続けていた古館寛治は、やがて堰を切ったように話し始めるが、その内容は嘘にまみれている。古館はストーカー行為の果てに女性を殺害したのだが、驚くことに彼は、「彼女を赦す」と言う。

古館が彼女を幸福にできる男であることを受け入れなかった過ちについて、死後の彼女が謝罪し始めたと言うのだ。古館はストーカー行為の愚かさに直面して沈黙していたのだが、大杉が発言を促したことで、妄想の論理に再び逃げ込み、死後の夫婦生活を夢見ることで、偽りの安寧を得ているのだ。偽りであったとしても安寧を得て、死への恐怖を軽減できるのであれば、それでも良いのか、または、偽りは苦しみを倍増させるのか。大杉には、手の施しようがない。

 烏丸は、富豪の愛人や、自分に好意を持つ看守のことを嬉々として話すが、そんな人物は実在しないことが、やがて自明となる。

 光石は殺人の余罪を大杉に告白し、その秘密を守るよう大杉に依頼するが、刑務所長によると、裁判のやり直しによる死刑執行の延期をなんども画策しているらしい。光石の実利的な嘘は、一般社会でも多用されていることで、ある程度は容認されているとも言える。馬鹿正直すぎる人間よりは貧乏くじをひき、要領よく嘘も吐ける人間のほうが成功する、という考え方だ。

 それに対して、古館や烏丸の嘘は、痛い。性の欲望と、異性への承認欲求は、死を目前にした彼等にとっても、逃れられないのだ。おそらくは女性に縁の薄いまま老齢を迎えた五頭が、少年漫画雑誌の水着グラビアを宝物のように大事にしている姿はさらに痛々しい。

 駅の売店やコンビニの店頭にありふれている、美少女のビキニ姿ですら、五頭にとっては至宝なのだが、今や、もっと美しい女たちが輪姦されたり、逆に男を凌辱している姿をネットで簡単に見ることができるのを、五頭は知らないのだろう。

大杉の死と新しい才能

この映画撮影中に、大杉が自身の死を予期していたかどうかは、わからない。しかし、死を意識したときに、既に撮影を終えていたこの映画のことを想起したことは間違いないだろう。果たして彼の最期の心境に、「教誨師」の6人の死刑囚の心情との共通項はあったのだろうか。

死を目前にした人の心の葛藤を見事に描写した、原案、脚本、監督の佐向大。彼のフィルモグラフィーを見ると、多彩な方向性を有した映画作家ではないかと感じる。「教誨師」のほとんどのシーンは、刑務所内の殺風景な面会室で展開される。死刑囚たちの境遇や犯罪が映像化されることは一切なく、すべて彼等の語りだけで、大杉も観客もその内容を想像するしかない。

決して弁の立つスピーカーではない、死刑囚たちのきれぎれの独白のみで、そのバックボーンを現出させた脚本は、圧倒的に素晴らしい。卓越した脚本家としての資質を基礎においた映画作家の次回作が楽しみだ。

大杉自身がプロデュースした本作は、佐向大、玉置怜央という素晴らしい才能を送り出すこととなったが、大杉自身の演技については、特にこの作品が突出しているというものではない。ときには愚かしく人に見られることをも恐れず、あるがままに、静かな存在感を重ねた名優は、膨大な作品の中に、これからも存在し続ける。そのすべての総体が大杉漣の存在であり、そういう意味で、大杉漣に、最後まで代表作はなかった。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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