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ティッシュみたいだね 映画って

田坂具隆監督 「はだかっ子」 1961 レビュー

田坂具隆監督 「はだかっ子」 1961 レビュー

昭和30年代、所沢

タイトルバックは、空撮から始まる。昭和30年代の所沢。住宅は少なく、一面の濃い緑は茶畑なのだろう。電車や街道が濃緑を闊達に切り取って走る。この豊かな人工の濃緑が、まず、映画の豊潤な色彩感覚を頭上から制覇する。

「はだかっ子」は児童文学を原作としており、主人公は小学6年生の元太だ。映画は元太と同級生たちが通学途中、保健所の職員が犬を捕獲しているところに出くわすシーンから始まる。犬を助けるべく職員に噛みつく元太。その隙をみて、犬は濃緑の茶畑の合間を逃走する。茶の丈は150cm以上もあり、小学生の身長より高い。観客は、今しがた俯瞰で見下ろした濃緑の内部に包み込まれることになり、映画の色彩と湿度は、グリーンに完全に支配される。

元太は、戦争で父を亡くし、母と二人で大工夫婦の二階に暮らしている。この粗末な木造建築は、舗装していない路地に雑然と建てられている。自宅から街までの間には、砂ぼこりの舞う幹線道路がある。歩道橋も横断歩道もなく、自動車が狭い車道を疾走しているような道だ。西武鉄道の線路下はアーチ状の通路になっていたりもする。いかにも交通事故が多発しそうな隘路だ。かつて都市は、無計画に通路や立体交差を作り、遠近感覚を麻痺させる面白い空間を作っていたものだ。

所沢市中心部の商店街は、人々が行きかい、繁華に賑わっている。現代以上に所沢は、埼玉県の中核都市として東京への依存度少なく、栄えていたのだろう。

地域経済のボスと米軍基地

元太の母(木暮実千代)は、チンドン屋や土木工事の日雇い仕事で生計を立てている。花柳界の妖艶な女将や素封家の奥方といった役どころが多かった彼女だが、地を這うように逞しく生きる母親を演じる姿には、庶民の力強い生命力が宿っている。木暮が元太と米軍基地フェンス脇の原っぱに行き、三味線を練習するシーンがある。基地には、大きな管制塔のような建築物が建っており、緩く鈍い光を放っている。フェンス脇に生える雑草の濃緑は、夜の闇にその濃度を増している。緑だけでなく、夏の夜の空気もその濃度を増し、周囲をひっそりと埋め尽くしているのが、ありありと伝わる。

木暮は、ポータブルのレコードプレーヤーを廻し、今度の大売り出しにチンドン屋で演奏する「お富さん」を練習する。しかし、木暮も元太も、元太の父を殺したアメリカに対する呪詛を表明することはない。

日雇い仕事の差配をも含めた、地域の経済と秩序は、PTA会長(神田隆)が牛耳っている。神田は市会議員も務めているらしいが、暴力団をもその影響下に置き、権力と秩序の維持のためには市民に圧力をかけることも厭わない。木暮もまた若い頃、神田と男女の因縁があったことが仄めかされる。

ユネスコ村と理想的平和主義

元太たちが学校の課外活動でユネスコ村へ行くシーンがある。子供たちは遊覧電車で歌を歌ったり、写生大会をしたりする。しかし、元太の関心はただ一つ。インドネシアの民俗を模したパビリオンだ。父親は元太が産まれる前に出征しており、元太にとって父親の情報といえば、インドネシアで戦死した事実しかないのだ。

ユネスコ村訪問後、教室に戻った担任教師の有馬稲子と生徒たちは、ユネスコの理念や世界の平和について議論する。ここで田坂監督が生徒たちに発言させている、一見素朴に見える理想的平和主義の発言は、今聴くと辟易するが、当時の世界情勢や国内の論調では、圧倒的な正義だったのだろう。生徒が素朴な極論を言うのを穏やかに宥め、穏当な常識に着地させる有馬稲子の教師像は、当時の彼女のパブリックイメージと合致しており、地域に根差した、美しいインテリ像を体現することで、掛け替えのない輝きを放っている。

この後、小学生たちがPTA会長の神田をコテンパンに論破する、学校討論会も催されるが、有馬のような穏やかなインテリのかじ取りがないと、本物の権力者と虐げられている子供たちという構図が先鋭化しすぎてしまう顛末ともなっていた。

有馬稲子と三國連太郎

子供が主役のこの映画だが、1950年代という日本映画黄金時代を駆け抜けて、円熟しつつあった二人のスタアが脂の乗った存在感を見せている。

有馬稲子は当時29歳。宝塚歌劇団から東宝を経て松竹の看板女優となり、「東京暮色(1957)」「彼岸花(1958)」といった小津安二郎作品では、利発で合理主義ではあるが、女性の弱さを隠しきれない哀感を演じた。

本作では、父娘二代の小学校教師という役柄で、父親役の東野英治郎と教育論を交わすシーンなども出てくる。父娘二人という、小津的なシークエンスなのだが、笠智衆や原節子と違って、東野と有馬は率直に意見を交わし、曖昧な空気を存在させない、論理派だ。

まだ充分に若く美しい、小学校の女教師。ユネスコ村の相撲大会での少しエロティックな挿話など、小学校6年生の男子生徒が、幼くも性的に憧れる存在としての魅力を発散している。逞しい母に比べるとまだ幼く感じられる若い女性。母の死に遭遇した元太が、その胸で泣いていい存在。東野に諭されるまでは、淡く甘い勘違いをしてしまうような、微妙な関係性が描かれている。

対して、怪優三國連太郎は、徹頭徹尾、単純な性格の大工を演じることに徹している。三國は、木暮の亡父の弟分である。彼は、複雑な心のひだなど全く持たない、竹を割ったような性格の男だ。素朴に妻を愛し、子供が生まれれば喜び、木暮が亡くなれば、当たり前のように元太を引き取る。

市川崑監督「破戒(1962)」の被差別部落の運動家、小林正樹監督「切腹(1962)」の腹黒い家老、内田吐夢監督「飢餓海峡(1965)」の実業家。

市川崑監督 「破戒」 1962 感想

一癖も二癖もある悪役を憎たらしい程に演じてきた三國だが、こんなに単純で気持ちもいい、市井のおっさんをも造形しているのだ。

田坂具隆の善意の世界

田坂監督は1902年生まれで、1924年に日活撮影所に入社、1926年には早くも監督デビューしている。日本映画の黎明期を知る大ベテランだ。戦争末期には召集され、広島に入隊、被爆している。

その作風は、素朴に人や風景を愛する、慈愛の映像化だと思われる。「陽のあたる坂道(1958)」では、石原裕次郎という逸材を得て、彼の不良的側面ではなく、お坊ちゃん的育ちの良さと善良さを全面に開花させた。裕次郎自身の生い立ちがその二面性を併せ持っていたわけだが、この作品が謳歌する戦後民主主義の爽やかさは、今観ても本当に清々しい。成城学園あたりの屋敷町、神宮外苑の並木道、東京の洒落た風景をモノクロの画像に美しく切り取ったシーンも忘れ難い。

その三年後に撮った作品が「はだかっ子」だが、当時の感覚として、所沢は東京近郊の通勤圏というより、緑豊かな田舎町だったのだろう。「陽のあたる坂道」のシャープなモノクロ映像に比して、カラーフィルムは鮮やかな半面、少し野暮ったい。

しかし、この映画には所沢という街への愛情が溢れており、あまりにも率直に、その風景の素朴さを活している。米軍に接収された基地を背中合わせに、田園よりも茶畑が広がる、緑豊かな土地。まだ粗削りな野原もたくさんあり、人々が活気ずく賑やかな繁華街もある。

子供たちはそんな土地で、さまざまな運命を抱えながらもすくすくと育ち、庶民は労働に汗して、充実した一日を終える。戦争には敗けたが、日本は粛々と復興しつつあり、明るく健康な未来がきっと拓けている。

田坂具隆の、そんな日本と国土への愛情が、素朴にこの名作に刻まれている。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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