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崔洋一監督 「十階のモスキート」 1983 感想

崔洋一監督 「十階のモスキート」 1983 感想

ロックンロール

内田裕也こそ、ロックンロールだ。ロックンロールの神髄を完全に体現した唯一無二の存在だ。内田のロックンローラーとしての神髄は、自ら脚本を執筆した映画に刻まれている。「十階のモスキート」は、当時新人だった崔監督との共同脚本による、傑作である。

「ある時ふっと気が付くと、壁にモスキート(蚊)をつぶした小さな血痕が付いていた。自分の血なんですけどね。僕はロックンロールのナントカなんて呼ばれてるけど、現実には、大きな宇宙の中のちっぽけなモスキートみたいなものにすぎない───、でも人は刺せるよ、というふうな、それがテーマなんです。」

内田は、千葉県君津の警察官を演じる。昇格試験に合格できず、交番勤務を20年以上続けている巡査。無口で愛想悪く、上司や後輩にも疎まれている。数年前に離婚しており、妻(吉行和子)娘(小泉今日子)への養育費の支払いも苦しい。非番のときは、近所のスナックで飲んだり、競艇に行くことしかすることがない。

そんな内田に、二つの出来事が起こる。一つは、娘との再会である。素行が良くないという噂を聞いた内田は、原宿でロックンロールを踊る小泉を見つける。1980年代前半、代々木公園脇の歩行者天国で「竹の子族」と呼ばれる若者が、派手な衣装を着て踊っていた。「竹の子族」のなかには、キャロルを崇拝するロックンローラーもいたらしい。小泉はその一派に加わり、アナーキーの仲野茂と踊っているところを、内田に発見される。内田は、小泉に声をかけることなく、ただ、見ている。小泉も父の存在に気づく。しかし内田は、そのまま立ち去る。

秋葉原を徘徊する内田。当時黎明期だったパソコンに興味を持つ。8ビットの機器でもおそらく20~30万円ほどだろう。パソコンを買うためにサラ金に借金をする。しかし、PCを駆使して犯罪を行う、というようなことは、起きない。チープなボウリングゲームで遊ぶだけだ。

小泉今日子とパソコン。後年、重要な存在となる二者に対する先見の明。当時小泉は、大量にデビューするアイドルの一人に過ぎなかったし、パソコンはオタク以外の人は全く興味を持っていなかった。プロデューサーとしての嗅覚は流石なのだが、このセンスもロックンロールなのだ。しかし、映画のなかでは、小泉にもパソコンにも、圧倒的に無力なのだが。

「無力」から生まれる爆発力

内田は競艇で借金を返そうとするが、当然のごとく勝てない。更に借金を重ねて競艇につぎ込む。返済を迫られると別の業者から借りて返すしかない。浪費しているわけではなく、借金とギャンブルの最悪スパイラルにはまり込んでいるのだ。督促の電話は、交番や警察署長(佐藤慶)にまで来るようになる。追い込まれて酒を飲むのも、ツケのきく君津のスナックで酔いつぶれるだけだ。

しかし、そんな状況で何故か、性的エネルギーを爆発させていく。スーパーで万引きする女(アン・ルイス)を拘束するが、警察署ではなく、自宅マンションに連行する。そして、解放を懇願するルイスに言う。「パソコンやってみろ」。ケバい化粧と派手な服装のアンパソコンに興味があるわけがない。キーボードすら叩いたことがないだろう。しかし、そんなことは関係なく、「パソコンやってみろ」。ロックンロールだ。当然のごとくアンを犯す。

スナックで泥酔して暴れた内田を、ホステスの中村れい子がマンションまで送っていく。泥酔していた筈なのに、エレベーターでキスし始める。当然のごとく、犯す。駐車違反を取り締まっている婦人警官(風祭ゆき)を君津駅前で見かける。先輩づらで違反者を釈放させた後、マンションに連れ込み、犯す。スナックのママ(宮下順子)も犯す。

中村は、内田に再度ヤられたくて、マンションを自ら再訪するばかりか、20万も金を貸したりもする。しかし、妻には借金も断られ、性行為も拒まれる。小泉には金をせびられる。妻や娘と継続性な関係を構築することは出来ないが、しがらみのない女のセックスは動物的に奪っていく。いい年してどうしようもないとしか言いようがないが、それがロックンロールなのだから仕方がない。ロックンロールとは、原宿で踊ることではなく、君津のスナックの女とセックスすることなのだ。

郊外の狂気

君津駅から東京駅まで、JRの快速で1時間半、1,500円程度だ。ギリギリ通勤圏だろう。この距離感なら、高校生の小泉も原宿まで遊びに行けるし、秋葉原からパソコンを電車で持ち帰ることも可能だ。

内田の勤務する交番は、冴えない交差点にある。隣にどさん子ラーメンの店があったりする、田舎の県道だ。宮下や中村が働くスナックもそんな県道沿いにある。店の前に駐車スペースがあるような店で、客は野暮ったいオッサンばかりだ。

長谷川和彦が「青春の殺人者(1976)」で描いた、成田空港開港直前、干からびた田舎の閉塞感。根岸吉太郎が「遠雷(1981)」で描いた、田舎者の厚かましさ。東京にほど近い田舎を描いた2作の空気感を継承しつつ、崔監督は1980年代的に、意匠を一歩進めている。

上記2作が、血縁をベースとする田舎の濃厚な人間関係を描いていたのに対し、「十階のモスキート」の登場人物たちは、都市生活者のように、互いに勝手に暮らしている。内田のマンションも十階建ての無機質な部屋であり、隣人の気配は全くない。中村れい子は、内田とのセックスを欲望しながら、別の客(小林稔侍)と遊んでいるのを内田に見られても特に気にしない。借金の取り立て屋(安岡力也)も、地域に根差したヤクザには見えない。唯一家父長的な倫理観を示すのが、警察署長の佐藤慶なのだが、例えば、大島渚監督「儀式(1971)」で佐藤が体現した、血族の家父長の圧倒的な威圧感に比べると、いかにも迫力に欠ける。

「青春の殺人者」と「遠雷」は、農村の空気感を強く残存させていたが、「十階のモスキート」の舞台である君津は、工場の街である。内田が安岡に返済期限の延期を依頼する、夜の港湾のシーン。遠景には、製鉄所の巨大な設備群が、煌々と照らされている。

八幡製鐵君津製鐵所は1965年に操業開始、京浜工業地帯の製鉄需要を支えてきた。高度経済成長も中盤に差し掛かった当時、日本全国から労働者が君津に集まり、肉体労働者の猥雑で逞しい活気が街に満ち溢れたはずだ。しかし、「十階のモスキート」にそんな喧噪は描かれない。借金まみれのバツイチ小役人が、郵便局を強盗する話なのだ。

セックス、D&ロックンロール

内田裕也こそ、ロックンロールだ。ロックンローラーに警察官の制服は全然似合っていない。どうみてもこの不穏な顔をした男は、秩序を守る側ではなく、破壊する人間だ。似合わない警官姿のまま、郵便局でいきなり発砲し、現金を要求する。しかし、大量の現金を強奪することもなく、その辺の引き出しにあった数十万円程度を鷲掴みにし、悠々と外へ出ていく。

何の計算もしない、破滅へのダイビング。「餌食(1979)」の屋上からの乱射、「コミック雑誌なんかいらない(1986)」の豊田商事宅への侵入もそうだった。ロックンロールは、本質的に、死を志向している。本能的に「秩序」を憎悪している。秩序を憎んでいるので、秩序を構成する要素、「権力」「安定」「平和」「継続」といった概念を嫌悪している。理由などない。本能だ。内田裕也だけが、ロックンロールだ。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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