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蜷川幸雄監督 「魔性の夏 四谷怪談より」 1981 レビュー ネタバレあり

蜷川幸雄監督 「魔性の夏 四谷怪談より」 1981 レビュー ネタバレあり

あらすじ


ある夜、伊右衛門は、自分の旧悪を知っている妻、いわの父、四谷左門におどされ、闇討ちにした。その頃、伊右衛門の仲間の直助は、恋の遺恨から、佐藤与茂七を殺そうとした。しかし、殺されたのは、人違いで与茂七の仲間だったが、直助は気づかなかった。いわとその妹で与茂七の妻のそでは、父や良人を失って悲しむが、伊右衛門と直肋は、何喰わぬ顔で仇討の助太刀を約束する。しかし、伊右衛門といわの仲は次第にまずくなっていく。そんな生活の中で、伊右衛門は隣家の伊藤喜兵衛の娘、うめと恋仲になっていった

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人工的な巨大都市


 江戸は、異形の魅力を放っている。江戸城大奥、豪商が軒を連ねる日本橋、武家屋敷の長い塀、蝉がかまびすしい寺社、郊外の荒涼とした草原、死体が発見される湿地帯。

京都、大坂は言うまでもなく、金沢や名古屋と比べても、江戸は歴史が浅い。18世紀初頭には人口100万人を超え、当時世界一の人口を擁した巨大都市江戸は、徳川幕府以前には小さな寒村だった。人工的に築かれた町では、華やかな場所と荒地がアンバランスに交錯する。例えば現代では、札幌やつくばにその相貌が見える。

荒地には浪人がいる。浪人は刹那的にやさぐれている。そんなアウトローそのものといえる俳優はショーケンこと萩原健一しかいない。

70年代的なアウトロー 


ショーケン演じる民谷伊右衛門は、女を道具にして仕官を繋ぎとめる浪人だ。三船敏郎的な豪快な野武士でもなく、山形勲的な悪代官でもない。ましてや加藤剛のような勧善懲悪的な奉行でもない。しいていえば、市川雷蔵演じる眠狂四郎の系譜か。眠狂四郎は「転び伴天連」の子であり、「女は抱くものだと心得ておる」と嘯く無頼の徒だが、雷蔵の妖気は呪術的な貴種性を発散しており、「円月殺法」の優美さは、歌舞伎の様式美をも継承している。

対して、ショーケンのアウトローは、徹底的にリアリズムである。演劇的なデフォルメを排して等身大の任侠を演じた「股旅(73)」。大正のデカダンな歌人に仮託した「もどり川(83)」。本作も含めて、時代の風俗フォーマットにとらわれていない、唯一無二のアナーキーな個性だ。

強くもなく、正しくもない。自分勝手に小さい打算を策略しては、挫折を重ねる男。わけのわからない美意識を振りかざし、強引にことを進めるが、すぐに飽きてしまう。躁鬱気質のジャンキーに美人は簡単に惚れてしまうが、まともに顧みず、次々と別の女を犯す。犯されている女は、早めに抵抗を止め、事後には甘く纏わりつく。

これは、浪人でも歌人でもない。単なる萩原健一そのものであり、このアウトロー男の虚無は、70年代の爛れたロックンロールの精神性を象徴している。

和製ロックンローラー


 日本のロックは細野晴臣派と内田裕也派に分かたれる。大学在学中から音楽活動を始め、難解なコード進行の曲を作り、アイドルに提供したヒットソングで印税を稼ぐ、細野とその系譜。キャバレーやディスコのハコバンとして下積みを経験し、セックス/ドラッグ三昧の爛れた生活のなかから、成り上がっていく裕也とその一派。

 グループサウンズ期に、テンプターズのメンバーとしてデビューしたショーケンは後者の代表格だ。ギターがうまいわけでも、曲を書くわけでもない。新しいタイプのアウトローの感性を、独自のヴォーカルスタイルで表現し、和製ロックンロールの一つの在り方を創出した。拗ねたキャラクターが親しみやすさをも感じさせ、70年代に俳優としてブレイクしたアウトローは、80年代には、更にエキセントリックになり、その感性が音楽に結実した。「Don Juan(80)」「D’erlanger (82)」「Thank You My Dear Friends(84)」と傑作アルバムを連打する。

80年代のオッドな成熟


 80年代初頭、角川映画は、相米慎二、森田芳光、根岸吉太郎など、エキセントリックに異才を放つ新人監督を次々に世に送り出した。日本映画黄金期の撮影所システムはすでに解体し、映画スタアの主演作は激減した。ベテラン監督たちは、安定的に新作を量産できなくなったが、迷走のなかで独特の才能を深化させた者もいた。その代表である鈴木清順や佐藤純彌は、日活や東映のカラーに覆われていた異形な感性を剝き出しに露出させた。そんな映画では、様々な出自の新人俳優たちが70年代的な鬱屈をつぶやき、至極真面目に、人を殺したりしていた。

 「魔性の夏」も、その系譜に位置する。夏目雅子は、ここでは比較的まともだが、関根恵子の幽霊姿は、化けて出ているくせに、妙に優しそうだし、森下愛子の白痴的なバカ女ぶりには、かなりイラっとさせられる。小倉一郎は眉毛がなくてちょっと怖いが、やはり気が弱そうだし、石橋蓮司は、ショーケン以上に姑息だ。彼等がそれぞれ勝手に突き抜けているので、映画全体が小気味よく転がることはなく、異形の演技群はごちゃごちゃとまとまりがないが、熱気だけは高い。

蜷川幸雄の演劇的熱度


 舞台演出家の蜷川幸雄は、この「熱気の高い」人種の筆頭格だ。意欲の低い役者をいじめぬく蜷川の演出は、精神の強度を過剰に要求する手法である。その差配で動き、彼に心酔している役者だちは、エキセントリックな自意識をこじらせていく。

蜷川は5本の監督作を残しているが、唐沢寿明主演の「嗤う伊右衛門(04)」では本作とは全く別の伊右衛門像を描いており、ブルーやグリーンが幽玄に揺蕩う美しい映像が印象的だった。二宮一也主演の「青い炎(03)」、吉高由里子主演の「蛇にピアス(08)」では、ショーケン的アウトローの要素を持った10代の心象を描いた。ヒリヒリとした怒りの感情の潜伏や露出は、やさぐれてばかりのショーケンよりも余程真摯で、忘れられない痛点のような余韻を残した。これら蜷川晩年の作品群は、熱気をグッと抑えた透明感が鮮やかで、作品を小さな玉に収斂させていくかのような作風だった。若い俳優たちも瑞々しい映画的感性を披露したが、あくまで蜷川の素材として規格内にとどまっていたとも言える。

 そう考えると、映画が破綻するほど規格外の存在である萩原健一が、蜷川と喧嘩腰で格闘し、荒地で真剣を振り回し、女優に本気で惚れさせている本作が、やはり蜷川映画の最高傑作だと思える。

江戸とアウトロー


 メンズビギをまとったショーケンは、新宿/代々木/表参道に生息していたが、着流しのショーケンは四谷/湯島あたりをさまよっている。新造都市である江戸には、生産者たる農民は少なく、武士や商人、僧侶のほか、士農工商の埒外に蠢く雑多な輩が全国から集っていた。

家督を継ぐことのできない、農家の次男、三男は浮浪の果てに江戸の貧乏長屋にたどり着く。河川や海岸の土木工事に従事する彼らの日常には、三味線を抱えた旅芸人、陰陽師もどきの占い師、遊女くずれの売笑婦、寺社でバッタものを売るテキヤ、怪しげな薬を煎じる藪医者、威勢のいい駕籠かきなど、堅気ではない輩たちが取り巻き、農耕民族の安定感とはかけ離れた、アナーキーなその日暮らしを営んでいた。

 そんな有象無象を従えている伊右衛門は、唐傘など張りながら、岩(関根恵子)の婿として禄を食み、ダラダラと寝転んで暮らしている。そんな不行状を詰問する岩の父(鈴木瑞穂)を殺害した伊右衛門だが、より裕福な武家の娘、梅(森下愛子)に惚れられ、次第に岩が疎ましくなる。梅の父(内藤武敏)にそそのかされ、伊右衛門は岩に毒薬を盛る。醜くはれ上がる岩の顔。按摩の宅悦(小倉一郎)に岩との不義密通を命じ、それを理由に岩を斬り捨てる。その後、岩の幽霊が現れるようになり、錯乱した伊右衛門は梅とその父まで殺害する。

合掌


 残念ながら、萩原健一は今年亡くなった。私は昨年5月、六本木のビルボードライブ東京に出向き、生前の萩原のライブを至近距離で観ることができた。

 腹が突き出し、動きも緩慢で、衰えが目立ってはいたが、生で見る眼光の迫力はやはり凄まじかった。錯覚であろうが、一瞬目があったように思った私は、長年憧れてきたカリスマの、本物の邪悪さに震え上がってしまった。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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