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白石和彌監督 「孤狼の血」 2018 レビュー ネタバレあり

白石和彌監督 「孤狼の血」 2018 レビュー ネタバレあり

広島ヤクザ映画の再来に挑戦する白石和彌

 「孤狼の血」は、広島県呉原市を舞台にした、ヤクザと刑事の群像劇だ。

「呉原」とは架空の地名だが、広島県呉市を想定している。と来れば、この映画は誰がどう考えても、「仁義なき戦い」シリーズへのオマージュである。と同時に、同じく「仁義なき戦い」へのオマージュとみられた「アウトレイジ」シリーズへの挑戦状とも考えられる。70年代東映を荒々しく牽引した深作欣二、90年代の静謐な世紀末に違和感を投げつけた北野武。白石和彌監督は、2018年にこの映画を含めて3本を世に出し、2019年も3本公開予定している、近年稀に見る多作ぶりを見せ、エネルギッシュにテン年代日本映画を牽引している新鋭であるが、「孤狼の血」による両巨匠への挑戦は、実り多きものとなった。

「アウトレイジ」VS「孤狼の血」

「TAKESHIS‘(05)」「監督・ばんざい!(07)」 「アキレスと亀(08)」。迷走の極みともいえる「芸術家三部作」の大失敗を経て、北野は「アウトレイジ(10)」、「アウトレイジビヨンド(12)」「アウトレイジ 最終章(17)」三部作でヴァイオレンスに回帰し、一定の成功を収めた。

「アウトレイジ」シリーズはヤクザ同士の抗争を描いたストーリーであり、裏切りに次ぐ裏切りの政治闘争を描いた点において、「仁義なき戦い」を踏襲している。北野初期作品の個的な暴力描写とは異なり、「アウトレイジ」シリーズの暴力は、組織的である。敵対する組織の対立や策略の結果として暴力が行使されるのだが、この主題は、「仁義なき戦い」シリーズと同じであり、北野的な「仁義なき戦い」解釈を味わうことができる。しかし、これら三部作は、エンタテイメントとして上手に完成しすぎているとも感じる。

「孤狼の血」を観て、私は傑作だとは思えなかった。白石作品で言えば、「凶悪(13)」「日本で一番悪い奴ら(16)」のほうが優れていた。悪徳刑事の描き方では、「日本で一番悪い奴ら」のほうが鮮烈であった。「凶悪」の山田孝之、リリーフランキー、ピエール瀧。「日本で一番悪い奴ら」の綾野剛。新鋭監督の意欲作は、少しカルトな匂いのする俳優との相性がいい。

しかし、この作品は実り多い意欲作だとは感じる。白石和彌は、王道を進み始めた。北野武や黒沢清のようなセンスのいい中堅監督巨匠になるのではなく、深作欣二を目指し始めたのだ。

正攻法のエンタテインメント

主演の役所広司と松坂桃李は、ヤクザではなく刑事だ。松坂は、広島大学卒の真面目な青年だが、役所の服装はほとんどヤクザだし、ふるまいはヤクザよりタチが悪い。俗にまみれて堕落してはいるが、存在自体に凄みを感じさせる先輩と、正義感は強いが世間知らずな若者という、定番コンビだ。

まず、この配役に、白石の本気を感じた。役所は20年以上、日本映画のトップに君臨している存在であり、松坂は正統派の二枚目スターだ。二人ともカルト性を残したオルタナティブではない点において、いかにも東映的な王道キャステイングだ。東映と白石和彌は、正攻法のエンタテイメントで、老若男女を活劇の世界に回帰させようとしている。

役所広司は、あいかわらず圧倒的に素晴らしい。60歳を過ぎて老齢のアヴァンギャルドな凄みすら出てきた。アルパチーノの領域に近づいてきたと言えば褒めすぎか。松坂桃李も、安易にファッションに逃げない、真摯な力強さを感じさせる。あくまで端正な佇まいは本木雅弘の後継のようにも思える。

準主演的な位置を占めるのが、竹之内豊、江口洋介、真木よう子といった人気俳優たちだが、彼等のパフォーマンスはあまり良くない。彼等は主演でこそ活きる俳優であり、助演は無名な若手で固めても良かったのでは。更に脇を固めているのが、石橋蓮司やピエール瀧といった芸達者な名脇役だが、彼等は少し露出過多で、「アウトレイジ」にも出演しているのでは、少し興ざめだ。

広島の空気

広島の夏は暑い。「仁義なき戦い」の当時、私は広島で暮らしていたが、毎日炎天下のもと容赦なく日光が街路を照り付け、舗装されていない道を車が走るたびに砂ぼこりが舞い、広島市民球場では、怖そうなおっさんが酔って野次を飛ばしていた。誰もが人懐っこく、おせっかいで、シンプルな感情を正直に表す人々が暮らす広島は、大らかで野暮ったい田舎町だった。

印象的なのは、夕方だ。経度の低い広島では、19時を過ぎてもまだ明るく、夕方の時間が長かった。素早く夜が訪れる東京のクールでスリリングな夜に対して、薄暮がじっくりと続き、夕焼けが山の稜線の輪郭を際立たせる時間は、一日の終わりをゆっくりと回想させ、来る漆黒の闇への怖しい期待をじわじわと募らせた。そんな長い夕刻、堅気ではない男衆たちが、雪駄を裾を引きづりながら闊歩し、子供までも委縮させながら、朗らかに煙草を吹かしていたものだ。

「孤狼の血」は、昭和63年を舞台としている。昭和最末期の妙に能天気な空気には、まだ色濃く昭和が残存していた。白石は、原色を多用した映像を用いて、過剰な活力とバブルのいびつさを背景に、広島の色彩感を見事に映像化している。あくまで東映という会社の持つ、映像の色感を踏襲していた「仁義なき戦い」に対して、皮膚感覚まで迫ってくるリアルな映像の色彩感覚は、はるかに凌駕している。

日活、東映、活劇の系譜

 「仁義なき戦い」は、敵対するヤクザ組織同士が抗争したり、つかの間和解したと思ったら、誰かが寝返ったりする話だ。彼等の行動原理はメンツと嫉妬しかない。プライドを傷つけられる行為は絶対許せないということだ。幹部同士でどちらが格上なのか、常に競い合っている。自分より格下だと思っていた人間が、巧く立ち回って出世することには、当然嫉妬する。敵対する組織同士で、不遇をかこっている人物同士が、結託することも多い。恩義のある親分や兄貴分には、服従するのは建前で、いつか自分のほうが上に立とうと、策略をめぐらせている。

 石原裕次郎や小林旭の系譜である、日活の活劇は、勧善懲悪のヒーローが主人公である。彼等は弱きを助け、悪に立ち向かい、勝利を勝ち取るが、反権力の流れ者である彼等は、勝利の代償として組織の中枢に収まり、権力を握ることはせず、どこかへ立ち去っていく。

 カッコ良すぎるとも言える日活ヒーローに対して、「仁義なき戦い」は嫉妬深く、権力の甘い汁を吸おうとする、私利私欲丸出しの俗物たちだ。深作欣二には、戦争の巻き起こした暴力の残像が色濃く残っており、暴力をふるう人間の愚かな活力や、暴力の痛みが発する怨恨など、人間の猥雑な情念を活写しようとしたのだろう。善悪は、くっきりと分かたれるものではなく、個人の思惑と組織の論理も単純な対立軸で説明することはできない。荒ぶる憤りや、動物的な欲望をリアルに描くことで、活劇の世界を変えた監督だった。

白石和彌の野望

 白石の野望は、深作的な活劇の復活だと感じる。コンプライアンスが過剰に働いている現代では、煙草を吸うシーンすら厭われるらしい。おそらくは、ミステリーや刑事ものの映画だけにしか、暴力が許されなくなりつつあるのではないか。犯罪者と警察のみが、違法と法令順守の分かりやすい立場で暴力をふるう。確かに定番の良くできたテンプレートであるが、テンプレートをなぞっても本物の活劇は生まれない。「狐狼の血」はまだ完全にテンプレートを逸脱できてはいないが。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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