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井坂聡監督 「破線のマリス」 2000 レビュー ネタバレあり

井坂聡監督 「破線のマリス」 2000 レビュー ネタバレあり

華やかなテレビ局

テレビ局は、まだ華やかなのだろうか? 私はテレビを全く見ないのだが、ネットの情報から類推しても、テレビというメディアが凋落していることは間違いないだろう。視聴率は低落しているし、新しいスターもあまり産まれていないようだ。老境にさしかかったビートたけしや明石家さんまが未だに大御所として君臨していることが、新鮮な勢いの欠如を象徴している。

おそらくは、たけしやさんまがブレイクした80年代がテレビの絶頂期だったのだろう。軽薄短小を嘯くフジテレビは、毎日躁状態のお祭り騒ぎを繰り広げていた。周到に作りこまれたドラマや演芸よりも、ライブ感をでっち上げる軽さが受けた。視聴者もでっち上げを承知の上で楽しんでいた。

「破線のマリス」が描くニュースショーも、そんなでっち上げだ。視聴者はすっかりすれっからしになってしまい、ニュースが真実を報道するとは、もう誰も思っていない。でっち上げによって、犯罪者や芸能人を袋叩きにする構図が巧くできればOKなのだ。

「破線のマリス」の公開は2000年。まだ、スマホもYoutubeもなかった。約二十年後、N国党はNHKだけではなく、テレビ全体を完全にぶっ壊そうとしている。

編集の妙味

主演の黒木瞳は、ニュース番組の編集の仕事をしている。現場スタッフが撮影してきたインタビュー映像などの素材を編集するのだが、わざと本番ギリギリまで仕事を終わらせないことで、確信犯的に上司のチェックをかいくぐって、きわどい映像を提示している。

映像もそうなのだろうが、音楽制作も、実は演奏以上に編集が重要であることも周知の事実となった。撮影者や演奏者の感覚と視聴者の感覚は必ずしも一致しない。視聴者は、怠惰で飽きっぽい。数秒単位で興が乗るわかりやすい面白さがないとすぐに飽きてしまう。

白痴なのだ。

黒木だけではないのだろうが、インタビューなど、面白い数秒の発言だけ残して後はカットする。一日の仕事を終えた人々は、金や色に目が眩んだ犯罪者を、数分だけ糾弾する娯楽を求めているだけなのだ。

被写体と撮影者の交替

もう一人の主演は郵政省官僚の陣内孝則だ。陣内は、黒木の巧みな編集映像によって、殺人の疑惑を持たれてしまい、左遷される。テレビ局に乗り込む陣内は、この悪意ある映像の主宰者が黒木であることを嗅ぎ付け、彼女につきまとうようになる。

陣内は彼女に謝罪を要求しているのだが、そのうち黒木の私生活を盗撮したヴィデオが黒木のもとに届く。間違いなく陣内の仕業だと信じた黒木は、逆に陣内の自宅にまで忍び込み、よりえげつない盗撮を行う。二人の泥仕合は、黒木が陣内を誤まって殺害してしまうことで、救いのない結末を、迎える。

スマホとYoutubeの時代

現代では、スマホの普及により、ほとんどの人が常時カメラで動画を撮影可能な状態で毎日生活している。更にYoutubeの存在により、その映像を誰でもノーチェックで公開できるようになった。映像はヴィデオテープやDVDのような媒体に記録されるよりも、クラウドに無尽蔵に保存されるようになった。

テレビ放送などと違って、国家の検閲を受けないインターネットの世界では、モラルに反する映像も永久に消去されないし、際限なく複製されて、拡散されていく。

このことによって大きく変化したのは、AVなどのアダルト動画だろう。「アダルト」などという言葉ももう全く意味はない。性的な動画は、インターネット上に無数に拡散しており、子供でも簡単に無料で見ることができる。リベンジポルノが問題になっているが、この無法状態はもう絶対に元に戻すことはできない。

この時代の空気を鋭く読み取っているのが、立花孝志だ。「NHKをぶっ壊す」とうワンフレーズを繰り返す遣り口や、スキャンダラスな話題を種まきしては、受けたものだけ拡散するスタイルは、実は極めてテレビ的な手法だ。流石、元NHK職員だとも言えるが、彼のしたたかなところは、こういう定番のテレビ的手法を、ネット展開にアレンジしたところだろう。

NHKという巨大組織で、えげつない仕事ぶりを目の当たりにして来た立花だが、自身のやりたいことを実行するには、膨大な金と権力が必要になる。Youtubeというフリーの媒体であれば、一人でが全てをコントロールできることをいち早く知った立花は、「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎が自民党を牛耳ったように、自身がNHKのような媒体になろうとしているのかもしれない。

トレンディ俳優の対決

テレビドラマの全盛期でもあった80年代~90年代に主役として活躍した黒木瞳と陣内孝則。80年代バブル的な軽躁をまとった俳優だ。

しかし、黒木は宝塚歌劇団の出身、陣内は博多のライブハウスで活躍したロックバンド出身であり、いずれも非東京のステージを出自としている。リアルなステージでエキセントリックなオーラを発散していた二人は、マジョリティの人気を博しても、うっすら異端の香りを残した俳優でもある。

二人とも40歳を過ぎ、俳優として一番脂がのっていたころの、実は最高傑作だと私は評価したい。

黒木は、短絡的で薄っぺらい人物として描かれている。軽薄に視聴者を煽る編集の遣り口には、ジャーナリスティックな視点もポリシーもない。「面白ければいいんでしょ」「数字とれればいいんでしょ」80年代フジテレビのステレオタイプを一歩も出ていない陳腐さだ。

彼女は自分が盗撮されて嫌な思いをしても、自身が素材として軽く扱っている被写体の痛みを想像することはない。仕事に自信を持っている女性に多いタイプだ。自身の愚かさに気づかない、救いのない女だが、黒木の美しさは年齢によって増しており、綺麗だが空っぽな大人の女を、巧みに体現している。

対する陣内は、さすがに黒木よりは常識的な人物ではある。しかし、出世コースを外れて家庭を失ったことにネチネチと後悔ばかりしている女々しい男だ。今あえて「女々しい」という表現を使ったが、世の男のほとんどが、執念深いし、ネガティブだ。陣内のような一見逞しく見える男の不甲斐なさは、情けなくも自然であり、素晴らしい演技である。

井坂聡のジャーナリスティックな視点

監督の井坂聡は、デビュー作の「Focus」から映像の被写体をテーマにした作品だったが、本作と「g@me」にて、マスコミを題材にしたエンタテイメントの佳作をものした。「g@me」は広告代理店の敏腕クリエイターによる偽装誘拐の話だったが、東野圭吾の上質なサスペンスに更にどんでん返しをアドオンした展開には、手に汗を握らされた。仲間由紀恵の美しさと可憐さの絶頂が刻まれているのは、恐らくこの作品だろう。

井坂聡監督 「g@me」 2003

30代の男と女子大生という組み合わせは、間違いなく松田優作と薬師丸ひろ子の「探偵物語」のオマージュだと思われ、日本映画の歴史への愛情の発露も好感が持てた。

「破線のマリス」は赤坂と下北沢を鮮やかに描いた作品としても記憶される。黒木の自宅とテレビ局は恐らくは赤坂~虎ノ門界隈にあり、坂道を黒木が自転車で闊歩するシーンが美しい。

陣内の自宅は下北沢にある古い民家だ。おそらくは彼の両親や祖父母の世代からここに住んでいるのだろう。下北の狭い路地にある行きつけのバーは、実際には渋谷にあることを私は知っているのだが、確かにあの店は渋谷よりも下北沢っぽい。陣内が死ぬ狭い隘路も世田谷ならではの風景をうまく切り取っている。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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