シネマ執事

竹内昌男監督 「ジャンプ」 2004 レビュー

甘美なノスタルジー

別れた女ほど、甘いものはない。こっちが年を重ねても、彼女はあの時のまま、若く美しい。唇や指が、彼女の柔らかい身体の感触をはっきりと覚えている。出会った頃のときめきや、落したときの達成感、時折の小さな諍いや、別離のやるせなさ。ヤレなかった女だって、案外悪くない。終電の時間を気にしてドキドキした、渋谷のバー。あっさり帰られた後の落胆も、今となっては懐かしい。これらはいわば、実話をベースとした映画だ。勝手な誇張で、自分好みに味付けすることもできる。「ジャンプ」は、甘美な反則技を駆使した、ズルい作品である。

横浜の街角、待ち合わせする原田泰造と笛木優子。なかなか笛木を見つけられない原田は、電話する。原田の背後で電話に出る笛木。こんな些細な仲睦まじさが、あまりハマっていない。この冒頭のシーンで、二人が運命づけられたカップルではないことが仄めかされる。桜木町のバーで強いカクテルを飲んだ原田は、ひどく酩酊してしまう。翌日の月曜から福岡に出張予定の原田は、蒲田に住む笛木のアパートに前泊する予定だった。

互いの自宅に泊まるようになると、人前では見せない生活習慣に小さく驚いたりする。愛し合っている二人は、そんな小さな未知さえ、愛おしく思えたりするものだが、この不器用なカップルにそんな気配は見えない。三つボタンスーツを着た原田は、如何にも当時の普通のサラリーマンだし、ステンカラーコートに小さなリュックを背負った笛木は、女を武器にしない、さっぱりしたOL、といったところか。二人とも恋愛経験も人生経験も豊富ではない。しかし、日本に数多いるカップルが、皆が皆、ラブラブでもなければ、数奇な運命に翻弄されもしない。平凡に出会い、普通にセックスして、結婚するのだ。

泥酔して笛木のベッドで一人寝てしまった原田は、昨夜林檎を買いに行ったはずの笛木がいないことに気づく。電話にも出ない。仕方なく福岡へ向かう原田だが、仕事にも身が入らない。帰京後、直ぐに蒲田へ向かうが、やはり彼女はいない。

美しい日本の風景

原田は笛木を探して、各地を彷徨う。蒲田のコンビニや交番、病院。天竜川の河川敷、流木が浮かぶ博多湾、そして伊万里。現在、日本の風景を美しいという人は少ない。雑多なビルが無計画に立てられた無個性な街並みを批判する人は多い。しかし、私はそうは思わない。この映画は、「男はつらいよ」の伝統をしっかりと継承し、日本の風景を美しく切り取っている。

笛木のアパートは、蒲田の呑川近くにある。蒲田は、東京駅から品川を経た東海道線が加速を始める鉄道の通過地でもあり、工場労働者が安酒を食らう繁華街でもあり、松竹の撮影所がかつてあった映画の街でもある。「砂の器(1974)」では、刑事役の丹波哲郎と森田健作が捜査中、呑川のそばを歩く。呑川は、決して清流ではなく、海に近いかつての沼地を流れる、生活排水をたっぷり孕んだどぶ川だ。川と周辺の佇まいは、2004年の笛木優子が住む頃もあまり変わってない。私は18歳の時、昭和末期の蒲田に初めて訪れ、中平康監督の五本立て特集をオールナイトで観たのだが、当時の蒲田の深夜の闇には、いかがわしい性と暴力の気配が濃厚に漂っていた。笛木の友人(唯野美歩子)の住む街も京浜急行沿線だが、駅周辺の私鉄沿線らしいゴチャゴチャした商店街は、東京ならではの味わいだ。

天竜川の河川敷は、水と植物の繁多な生命力が爽やかに、かつ濃厚に発せられている。博多湾の海辺は、凡アジアのオリエンタルな活気を垣間見せる。原田は、女の行方を捜しながら、少し早い人生の洗濯の旅を続けているかのようだ。旅もまた、人のノスタルジーを強く誘ってやまない。

情けない男が掴む幸福

原田泰造は、声が小さい。ボソボソと頼りなげに話し、態度も優柔不断だ。仕事でも、課長(光石研)に叱責され、後輩の女子社員(牧瀬里穂)に助けられている。しかし、日本の若い男など、大抵こんなもんだ。仕事ができるわけでもなく、特技があるわけでもなく、酒にも弱く、ただフツーに生きている。光石にしろ、部長(平泉成)にしろ、年期がはいって多少貫禄がついているだけなのだろう。

そんな原田のことを牧瀬が本気で愛していたというオチだ。牧瀬は笛木に手紙を送り、天竜川から戻った笛木と直接対決する。「好きな人以外に何が要るんですか?」観客は、謎めいた笛木にノスタルジックな恋情を抱き、かいがいしい牧瀬を疎ましく感じる。牧瀬33歳、笛木25歳。絶妙な年齢だ。後がない牧瀬は、必死に生涯の伴侶をつかみ取ろうとしている。笛木は、偶然に原田のもとから消えたが、ただ自分探しをしている凡庸な女だったのかもしれない。伊万里で陶芸に励む笛木は、もう魅力的ではない。別れた女の甘美さは、決定的に打ち砕かれる。蒲田時代と特に容姿が変わっているわけではないのだが、確実に色あせている。優柔不断な原田は、強い意思を持った女に選ばれ、平凡で幸福な家庭を築いている。男など、ほぼそんなものなのだろう。

消えた女。失った女。女は、謎めいている。しかし、手に入ってしまうと、世界一凡庸なものに転落する。膣の奥まで制覇した後に、謎など残っていようがない。対して、消えた男など、全く謎ではない。男は凡庸に存在し続けることでしか、力強さを獲得することができない。衣笠祥雄は、数奇な運命のもとに産まれたが、凡庸に存在し続けることで栄冠を勝ち取った。現役当時、衣笠は決して尊敬されるバッターではなかったのだ。光石研や平泉成は、定番すぎるキャスティングだが、日本のサラリーマン風景と、その継続性のしたたかさを体現している。

5年後、再度の福岡出張の後、伊万里にいる笛木を訪ねた原田は、甘美な実話映画を打ち砕いてしまった。中華街で不器用ながら仲睦まじい食事を摂る二人の、淡いせつなさ。さまざまな可能性を前に、若い二人は、現実をしっかりと掴むことができず、ただ目の前の異性に惹かれ、同じ時を過ごしている。相手が何者なのかも分からないし、そもそも自分さえわからない。もうすでに大人の年齢に達しているのに、脆く漂う二人を、日本の美しい風景と長い歴史がただじっと、優しく見守っている。

やはり、男は恵まれている。主体性なく漂っているだけの原田だが、仕事も順調に進むようになり、可愛い愛娘も授かった。そして、しっかり者の妻が家庭を守ってくれる。伊万里焼で頭角をあらわすことなど、そうそうはできないのだ。

映画というフィクション

監督の竹内昌男は、原作の佐藤正午の親しい友人らしい。原作はもう少しコミカルな味わいの人間喜劇だったが、竹内は思いっきり感傷的なノスタルジーの表出に舵を切った。やはり、これは反則だ。優れた映画作家ならば、これほど感傷に溺れてはいけない。原田のことも、笛木のことも甘やかしすぎている。牧瀬のような感性の鈍さも、もっと裁かれなければいけない。平泉成、光石研、中井貴一といった名優たちを、こんな類型的な上司像で描いてはならない。

人生は甘さと同じ分、苦さもあるからこそ活力を産む。ここまで甘ったれた人間たちをそのまま甘く描くのは、いわば退廃だろう。しかし、反則技は充分効いている。「ジャンプ」は決して傑作ではないが、特異で忘れ難い「甘い」映画として、映画史に永遠に刻まれていくだろう。

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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